相変わらず、週刊誌も女性誌も皇室の話題が好きだ。
“皇室エア親戚”たち――自分自身は皇室とは1ミリも関係ないのに、まるで親戚のオジオバかのように皇族の一挙一動、ファッションにすらああだこうだと口を出して貴重な人生の貴重な暇を潰す人々――が最近心配しているのは、天皇家のひとり娘である愛子内親王が、秋篠宮家の佳子内親王と仲良しすぎるということなのだそうだ。
愛子さまが「かの」皇室離脱してニューヨークへ渡った眞子さんや、そのあとを引き受けて公務に励む佳子さまの「(男女平等)思想」の影響を受け、同じように(腰掛け以上の本格的な)仕事を持ち、結婚によって、あるいは自主的に皇室離脱してしまうのではないか、そんなことになったら正統な皇室の血を継ぐ貴い皇族の皆さまの総数が減ってしまい、安定的な皇位継承が危ぶまれるではないかケシカラン!ということらしい。
皇室と何ら1ミリも関係のない平民の私としては、エア親戚の皆さんが遠い遠い皇室に向けて常に何らかの「問題」を見つけ出してきてはハラハラ、イライラなさっておられるのを見て、今日もお元気でなによりと苦笑するばかりである。そうですよね〜、ご心配が尽きないですよね〜、エア親戚活動、おつかれさまです!
それにしても、昨年まで眞子さんと小室圭さんのご結婚や米国司法試験合格などでさんざん2人を叩き、彼らをメディアや国民不信に陥れ、Yahoo!ニュースがコメント欄の運営方針を見直すきっかけとなり、秋篠宮や天皇陛下が苦言を呈したほどの騒ぎを起こした「匿名の国民たち」は、とにかく少しでも新しいものが嫌いなのだなぁとびっくりする。
皇室という場所が、自分たちの知るノスタルジックな姿から少しでも変化の兆しを見せると、エア親戚たちは途端に不安定になるようなのだ。自分たちが置いていかれるようで。だから、進化や変化を少しでも見せる皇族がいると、必死になって「それはいかがなものか」ともっともらしいことを言い合い、変わろうとする皇室の足を引っ張って、変われない自分たちを正当化しようとする。
というわけで、最近のエア親戚たちは、ヤング女性皇族の「思想」にハラハラしているらしい。
■「マコジット」騒動は一体何だったのか
眞子さんの「マコジット」(皇室離脱)は、お相手の小室圭さん登場の衝撃やロースクール留学の大騒ぎに始まり、日本中を巻き込んでそれはそれは大きな社会問題となった。
世間はとにかく小室圭さんを「胡散臭い」「不適格」と嫌った。小室さんを選んだ眞子さんを「どうかしている」とまで言った。ネットには誹謗(ひぼう)中傷があふれ、面白がった「暗殺」との言葉までが躍った。宮内庁が眞子さまの複雑性PTSDを発表すると、心配したり行動を改めたりするどころか、「当然の報い」「国民を脅す気か」と逆ギレする者まであった。それはまだ20代の若く前途ある2人に対する、国を挙げた残酷なネットリンチだった。
フォーダム大学ロースクールを修了し、司法試験受験を前にした小室圭さんがNYの街中で撮影されたサムライ長髪姿をうっかり「試練に鍛えられていい面構えになった」とテレビで褒めた私なども、「バカコラムニスト」とネットでコテンパンに腐されたものである。負けず嫌いの私が「日本を出て活躍したいとは立派、頑張って!」とマコジットを支持するコラムを書いてはYahoo!で炎上し続けていた経験も、もはやいい思い出だ。
結婚を前にした小室さんの一時帰国の折は、空港から小室さんの実家まで報道のヘリが追いかけるほどの加熱ぶりだった。
小室さんが三度目の正直で無事に合格し、眞子さんと2人でNYに仲良く暮らす今となっては、あの挙国大騒動は何だったのだろうと感じる。あの時の日本は「皇室の品位のため」「国家の品格のため」と、なぜか平成令和に化けて出た戦前戦中の亡霊を見たかのように、狂っていた。
日本人はちょっとしたことで、いつでも挙国して狂気へと突入することができる人々なのだ。本質的なメンタルは太平洋戦争から何も変わっちゃいないのだ。
■「ICUなんかに行かせたのが間違いだった」のか
私の意見は一貫している。
「その後、眞子さんが英語を公用語とすることで有名なICUに進んだ時点で、あれは明確な意思表示だったのだと受け取る事ができる。周囲は何カ国語も操る帰国子女や外国人ばかり。視野は確実に広がり、日本国内に閉じこもるのではなく世界を舞台に生きるのだと、海外志向は一種焼き付けられたも同然だ。眞子さんはそういう環境で、カナダ系インターナショナルスクールを卒業して来た小室圭さんと出会ったのだ」
「あの両親のもとで育った賢くて意志も強い長女の眞子さんは、彼女なりの確かなビジョンがなければここまで(ある意味国民を敵に回し、PTSDを負ってまで)戦わないだろうと感じた。眞子さんには、皇室を出て海外で暮らすのだという、確固たる自己イメージがあったはずだ。そういうとき、女は戦えるものだ。あの結婚と国外脱出の件で、戦っていたのは小室圭さんじゃない、眞子さんだったというのは、女たちの中では早くからピンときた者が多かった」
(「好きなだけ人生を楽しんで」NY州司法試験に合格した小室圭さんと眞子さまに贈る祝辞 プレジデントオンライン 2022年11月7日付記事)
■“ヤング皇族”の進んだ「思想」
その意味で、進取の気性を蛇蝎のごとく嫌うエア親戚たちが以前から文句タラタラだった「学習院ではない、ICUなんかに進学させたから」との見解は正しいのだ。
ハハッ。そう、現代のヤング皇族として苔むした既成概念を蹴り、「華族学校」を前身とする学習院ではなくバイリンガル全人教育を掲げる「国際」「基督教」大学であるICUを選んで進んだ眞子さん・佳子さま。彼女たちの視野は、エア親戚たちがおびえるとおり、エア親戚たち1万人の視野を合わせたって敵わないくらい広がっちゃってるのだ。
日本人の足元にヘドロみたいに粘りつくジェンダーの先入観なんかにとらわれないぞ。「女だから」「女らしくないから」なんてので行動も人生も制限したりしないぞ。しっかりと自分の意見を言うぞ。その微笑みは「女の子だから世間に見せる媚び」じゃなくて、「高貴な身分に生まれたがゆえのマナーの良さ」「一般人が逆立ちしても敵わないほど高学歴で良質な教育を受けてきたがゆえの自信や余裕」だぞ。どうだ怖いだろう。
みんな、皇族は常にその時代の最新バージョンにアップグレードされたハイレベル教育を受けてお育ちになっているということを、過小評価しすぎである。
そうとも、ヤング皇族は進んだ「思想」を身に付けているのだ。
しかもなんなら、愛子さまや悠仁さまなんてイマドキのZ世代だ!
■皇室女性のリベラル化は「紀子家」から進んでいる
最近気づいたことがある。そういえば、皇室女性のリベラル化は「雅子家」ではなく「紀子家」から進んでいるのではないのか。
皇室において、最もラディカルな母は、ひょっとして紀子さまなのではないか。
皇室にはほぼ興味はないが、あえて言うなら皇后雅子さまのファンではあると公言してきた私は、長年誤解してきた、と気づいたのだ。ハーバードと東大出身の帰国子女で外交官としての前途洋々たるキャリアを皇室外交に捧げた雅子さまは「進歩的」で「現代的」、学習院大学時代から秋篠宮とお付き合いして順当に皇室にお嫁入りした紀子さまは「保守的」で「古風」な女性に違いない、と。
ところが、彼女たちの「お輿入れ」から既に約30年、子育てと教育の方針を見ていると、そんな安易な色分けなどできないとわかる。
長男の嫁である雅子さまは「皇后」への道に載せられ、彼女自身のあり方やそれまでの人生で信じてきたものを否定され、別の人間になれとの重圧の下、いろいろなものを諦めなければならなかった。真面目で責任感が強くて努力家の雅子さまは、ハイハイと適当に周りを誤魔化すことなどできず、したたかになどなりきれず、自分の心を壊して足を引きずりながら「選択した人生」と歩むことにした。
■紀子さまの高度な教育方針
次男の嫁である紀子さまは女子を2人もうけたのち、「雅子家」にお世継ぎが生まれないといって世が騒然とバッシングするのを見て、鮮やかなムーブで将来の皇嗣となる男子をこの世に送り出した。次世代の天皇の母となった紀子さまは一瞬、したたかであるかのように映ったがそうじゃない。
あれは、雅子・浩宮(当時)家に代わって、可能な自分たちがその重責を背負って生きようという、紀子・秋篠宮家の決意だったのじゃなかったか。
「紀子スマイル」と呼ばれる、決して崩れることのない微笑みの下に隠された、鉄壁の覚悟のようなものが、紀子さまという女性が人生を前へ進めるにつれて年々大きく顔を覗かせるようになった気がする。私はたまたま、眞子さんや悠仁さまと同じ年頃の子どもを持つ母として見ていると感じるのだが、それは「紀子家」の教育方針に顕著なのだ。
両親ともに学習院、まして父が学習院の教員であったという「伝統」がありながら、大学では学習院に背を向けて女子2人を(よりによってあの当時日本の伝統的な教育から最も遠いとすら言えた)ICUへ入れ、いま、次期天皇となる悠仁さまはお茶の水女子大附属小中を経て筑波大附属高校へ。東大を目指していると言われていたが、どうやら筑波大も現実的な視野に入れているようだとの報道があった。
私も同じ年頃の子どもたちを持つ母親として彼らの受験に向き合っていると、紀子さまの教育方針が、お子さんそれぞれの時代にすごくセンスのいいチョイスであると感じるのだ。ブランドに任せるのではない、現実的で硬派、しかもかなりアカデミックに高度な教育方針なのである。お子さんたちは、よくぞそのハイレベルな期待に見事に応えていると思う。
■あれは誤算などではなかったのではないか
とすれば、眞子さんがエア親戚たちのざわつく「思想」を身につけて皇室離脱した件は、もしかして紀子さまは決して予想外ではなかったのではないかと感じるのである。あれは誤算などではなかったのではないか。どこかでそれは予感されていたのではないか。
マコジットの騒ぎのあたりから、紀子さまや秋篠宮家への批判も強まった。特にいま、紀子さまを「次期天皇の母の座でふんぞりかえる悪妻」「イライラした教育ママ」かのように書いて悪者扱いする流れがある。エア親戚たちは自分たちの思い通りに動かない秋篠宮家に不満を募らせ、SNSでは「秋篠宮家は皇籍離脱せよ」なんて無茶を言い出すハッシュタグまで出たそうだ。
それは、「紀子家」がエア親戚たちの忌み嫌う進取の気性を見せていることを意味する。
もしかして、後世は紀子さまこそが皇室の現代化を担ったと評価するのではなかろうか。
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河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。
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(コラムニスト 河崎 環)
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引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-2601229/