山下達郎氏自身も所属する「スマイルカンパニー」と、音楽プロデューサーで作詞家の松尾潔氏との業務委託契約が終了したことについて語った言葉が、激しい批判にさらされているのです。
山下達郎、性加害を「憶測」扱い「知らなかった」上で“捨て台詞”
事の発端は7月1日の契約終了に関する松尾潔氏のツイートでした。
<私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由です。私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと、残念です。>と明かすと、矛先は山下氏に。“やはりジャニーズに忖度(そんたく)したのか”と、その対応を疑問視する声が多数あがりました。
ネット上の反応を受け、ラジオ内でおよそ7分に渡って“反論”を展開した山下氏。ところが、この対応が怒りと落胆を招いてしまいました。
まずは、裁判でも事実と認定されたジャニー喜多川氏の性加害について、松尾氏が発言したことを「憶測」(おくそく いいかげんな推測をすること)としたこと。今年3月のBBCの報道などがあるまでは漠然とした噂でしかなかったので、「一作曲家」という立場からはそのような事実を知る由もなかったと語りました。
これに対して、1999年の裁判でも性加害の事実が認定されていことすら知らなかったのかと、呆(あき)れに似た驚きもあったようです。
BBCが今年3月に報道して以来、大きな話題を呼んできたこのドキュメンタリー、オンライン用に日本語字幕をあらためてつけて、こちらで公開しています。
BBCドキュメンタリー「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」【日本語字幕つき】https://t.co/w8B1H0h1GN— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) June 17, 2023
そして最も衝撃的だったのが、“嫌なら聴くな”と言わんばかりの捨て台詞(ぜりふ)でしょう。自分のジャニー氏とジャニーズ事務所のタレントをリスペクトする姿勢を「忖度、あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」と言い放ったのです。
これには多くの人が強烈な違和感を抱いているようでした。
山下達郎が大炎上した理由は“良識を体現するスポークスマン”イメージ
ですが、ここで発言のひとつひとつをあげつらっても仕方ありません。それよりも、なぜここに至って山下達郎は大炎上してしまったのでしょうか?
その原因は、この数年で定着した“良識を体現するスポークスマンとしての山下達郎”というパブリックイメージにあるのではないかと筆者は見ます。信用度が高かった分、期待を裏切られたとの思いが強くなってしまったわけですね。
インタビューやラジオ番組での発言を振り返りましょう。
・・━━━━
#山下達郎 さん
️
━━━━・・
これからもこだわりの選曲
楽しみにしています
#sundaysongbook
明日は「Birthdayで棚からひとつかみ」
『セイムタイム、セイムチャンネルで
お会いしましょう SUN / 14:00 pic.twitter.com/qJgIAlAprT— TOKYO FM 80.0 (@tokyofm) February 4, 2023
音楽ファンからの押し付けを突っぱねた
まず思い出すのが、“盟友”大瀧詠一氏が亡くなったときの『サンデー・ソングブック』(2014年1月26日)の放送です。熱心なリスナーからの強引なリクエストを、山下氏はこう言って突っぱねたのです。
<大瀧さんが亡くなってから後はですね、番組宛に早く追悼特集をやれとかですね、追悼特集は誰も知らないレアアイテムをたくさんかけろとかですね、最低半年はやれと、そういうような類の葉書が少なからず舞い込んでまいります。(中略)
そうしたファンとかマニアとかおっしゃる人々のですね、ある意味でのそうした独善性というものを大瀧さんがもっとも忌み嫌ったものでありました。>
実際、前年の暮れに亡くなった直後のツイッターでも、“紅白は全部大瀧詠一にしろ”といったコメントが多く見受けられました。
そうした好意の押し付けが、どれだけケチくさいものであるか。また、世の中には大瀧詠一氏には興味がない人が大勢いて、そういう人たちの趣味もまた尊重されなければならない。この当たり前の事実が見えなくなっている音楽フリークを厳しく正す説得力があったのです。
ライブ客のマナーが悪いと演奏を中断
愛好家である以前に、一人の人間としてどのように振る舞うべきか。山下氏の発言には、一貫した視点がありました。
だから、いかにお金を払ってライブを観に来ている客だろうと、マナーが悪ければ遠慮なく指摘した。明らかに演奏のムードにそぐわない手拍子をする客を名指しし、演奏を中断。おさまったところで、再度演奏をスタートすることもあったそう。
客にも高い規範意識を求める姿勢は、山下氏が敬愛した落語家の立川談志(1936-2011)に通じる矜持(きょうじ)だったのではないでしょうか。
35年前の曲を再現するのであれば、完全にその温度湿度まで再現しないといけない
その根底にある職業倫理は、名アレンジャーの瀬尾一三との対談で明らかになります。ライブでもレコードの音像を目指す理由について、こう語っています。
<ファンが昔の曲を聴きたいというのは、単なる懐古趣味とは言い切れないんですよ。とくに我々くらいのキャリアになってくると、その曲を聴いていた時代の記憶をよみがえらせて、そこから自分史を再確認させてあげる作業は、けっこう大事だと思うんです。
ニューヨークに行くと、僕が初めて行った23歳の時と、街並みがまったく変わらないんですよ。パリもそうです。日本はスクラップ・アンド・ビルドがすさまじくて、ここに前は何があったかもわからなくなっている。でも、そうじゃない欧米の都市の普遍性はどこにあるのかなと僕は考えるんです。だから、あんまり自分が先んじてしまってはいけないというのと、35年前の曲を再現するのであれば、完全にその温度湿度まで再現しないといけないと思うんですよ。>
(『音楽と契約した男 瀬尾一三』ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス
p.231)
聴く人ひとりひとりの人生を想像して、各々の物語にフィットする手触りを求めて音楽を作っていく。技術的な面からだけでなく、精神や思想においても徹底的に音楽の解像度にこだわると宣言しているのですね。欧米のソングライターのインタビューを読んでも、このような視点で音楽を捉えている人はいません。
山下達郎というミュージシャンは、全身全霊で聴き手に尽くすのです。筆者が学生時代のフランス語の教師が、山下氏のライブを観に行ってそのサービス精神に度肝(どぎも)を抜かれたと話していたのを覚えています。
山下達郎はどんな極限状況にあっても希望を持ち続けることの大切さを説いてきた
では、そこまで駆り立てる原動力は一体何なのか。過剰さと繊細さがないまぜになったしたたかな熱量はどのように蓄えられるのか。山下氏は、アウシュヴィッツから生還したユダヤ人の心理学者、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を引いて、こう話しています。
<フランクルいわく、あんな過酷な環境にいて、それでも“朝日がきれいだな”と思える。そういう人が生き残るんだと。フランクルが置かれた状況の苛烈さとは比べるべくもないけど、僕も昭和の貧乏人の家庭育ち。しかもドロップアウト。10代後半から20代にかけて、未来のことなんて何も考えられないような不安な時期を過ごしてもいる。けど、何とかしたし、何とかなった。強がりと言ってしまえばそれまでだけど、どこかで人間の根源的なパワー、生き抜く力を信じないと終わりだという確信のようなものがあるんです。>
(文春オンライン『山下達郎2万字インタビュー #1「ものすごくアバンギャルドなジャズ、下敷きをガリガリやってるような演奏が…」山下達郎が現在でも愛聴する名盤とは?』 2022年11月13日)
「SHINING FROM THE INSIDE」(アルバム『SOFTLY』)をレビューした鳥居真道氏(4人組バンド・トリプルファイヤーのギタリスト)が、山下氏の和声感覚には「オプティミズムが響いている」(雑誌『BRUTUS』2022年7月1日号)と評したように、人間の生命力を全肯定する正のパワーこそが山下達郎の核となっている。どんな極限状況にあっても希望を持ち続けることの大切さを、作品と発言の両方で切々と説く姿勢が尊敬を集めたのです。
時代の道しるべとしてのアーティスト像との落差。あっけにとられるファンも
このように、筋の通った良識とポジティブな音楽が固く結びついていると感じるからこそ、その存在が指針なき時代の道しるべとして頼りにされてきた経緯があります。それが山下氏の望んだ役回りだったかはともかく、近年の彼の音楽は含蓄(がんちく)ある言動とセットで受容されてきた。
そうした気高いアーティスト像が出来上がった中で、ジャニー喜多川氏の性加害について山下達郎は何を語るのか。それが最大の注目点だったのです。
それゆえに落胆の度合いが大きかった。職業倫理や規範意識以前の問題である明確な人権侵害に対して、山下氏は意味のある発言をすることができませんでした。
それどころか、聴き手を切り捨てることもやぶさかではないとまで言ってしまいました。たとえば以下の発言とどうやって整合性を取ればいいのでしょうか?
<これからも僕のライブに来てくださる年間10万人ほどの方々や、自分の音楽にシンパシーを持ち続けてくれた方々の力になるにはどうすればいいかを考えながら、健康で声が出るうちは活動を続けていきたいと思います。>
(現代ビジネス『「天文台の職員」になるはずが…?山下達郎インタビュー「音楽だけは自分に嘘をつかなかった」』2022年6月22日)
あまりの豹変(ひょうへん)ぶりに、あっけにとられたファンも少なくないはずです。その意味でも山下氏のスピーチは衝撃的でした。
あの山下達郎はもういない
もっとも、あの7分間で山下達郎が信念に基づいて語ったことを疑うものではありません。しかし、同時に後戻りできない方向へ歩みを進めてしまったような危うさも感じました。
希望を語り、市井の人々を温かく勇気づける、あの山下達郎はもういない。
それが明確になった7月9日だったのだと思います。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
【関連記事】
]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/item/neta/12194-2438256/