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毎年6月は、LGBTQの権利を考える「プライド月間」の月だ。ニューヨークでは恒例のパレードが行われ、巨大なロゴを掲げたラッピングカーに合わせて200万人以上が行進する。銀行や航空大手などのメジャー企業がこぞってスポンサーとして参加しており、今や大手企業の中でLGBTQを支持しない会社は存在しないといっていいほどだ。
ところがこの春、アメリカ最大の販売量を誇るビールブランド「バドライト」がLGBTQを支持したために、消費者による不買運動が起きている。
その理由は、1人のトランスジェンダー女性とのコラボだった。
バドライトといえば、世界的に知られるバドワイザーのライトビールで、日本でいえばアサヒやキリンに当たる超人気ブランドだ。商品PRには芸能人だけでなく、TikTokのインフルエンサーも多数起用している。今回の炎上騒動はディラン・マルベニーさんという、TikTokで1000万人以上、インスタグラムでも180万人ものフォロワーを抱える、トランスジェンダーのトップ・インフルエンサーを起用したことがきっかけだった。
バドライトは、マルベニーさんが性転換を経て女性になってから1周年を記念して、彼女の顔が描かれたスペシャル仕様の缶ビールを特注し、彼女にプレゼントした。彼女がそれを持った自撮り映像がインスタに上がった直後、大炎上が起きたのだ。
■販売数量が21.4%減少、工場に爆破予告も
保守派の有名人も即座に反応した。トランプ元大統領支持で知られるロックスターのキッド・ロックは、バドライトの缶をライフルで撃って破壊するビデオを投稿し、不買運動を表明。カントリーシンガーのトラヴィス・トリットは、自分のコンサートではもうバドライトは販売しないとツイートした。
それが不買運動につながっていく。4月初旬に炎上してから1カ月以上たつが、バドライトの4月単月の販売数量は前年同期比で21.4%減少。家庭用ビールでは、4月16〜22日の週で売上高が26%(同)落ち込んだ。バドライトの親会社アンハイザー・ブッシュの複数の工場には、爆破予告まで届いたという。
実はバドライトはこれまで、2015年の同性婚合法化の際にはレインボーの缶を発売するなど、LGBTQの権利拡大運動に貢献してきた歴史がある。しかしそれがこれまで商品の人気に影響することはなかった。
では今回、なぜたった1つの投稿が、そこまで人々を逆上させたのだろうか? 理由は、彼女がゲイやレズビアンではなく、トランスジェンダーだったからだ。
今やトランスジェンダーは、2024年の大統領選にも大きく絡むほど、アメリカ社会を分断する重要な問題になっている。
■フロリダ州は未成年の性別適合治療を禁止に
米シンクタンクのピュー研究所によると、アメリカのトランスジェンダー(生まれ持った性と性自認が違う人)人口は全体の0.6%だ。最も多いのは18〜29歳の若者で、2%に達している。全体的には決して多いとはいえないが、人口の4割以上が「トランスジェンダーの人を個人的に知っている」とも答えており、非常にまれな存在とも言いがたい、微妙な部分がある。
そのトランスジェンダーの権利を制限する法律が、保守的とされる19州で次々と成立している。中でも最も厳しいのが、フロリダ州で5月中旬に成立したばかりの法律だ。
一般的にトランスジェンダーが性別適合治療を受ける場合、まず第2次性徴抑制ホルモン(思春期ブロッカー)を使用し、その後自認するジェンダーのホルモンを摂取する。アメリカでは思春期の子供たちに対して過去10年以上にわたり行われている医療だ。
フロリダ州は、未成年のトランスジェンダーに対しこうした医療を禁止した。さらに、医療を提供した者には、最高5年の禁固刑が科される可能性がある。州は、未成年へのこうした治療が、子供の意思に反し親の決定で行われる恐れがあるためと説明。このほかに、LGBTQに関する本を小中学校の図書館から撤去し、性的指向や性自認に関する授業も高校まで禁止した。
■女装のパフォーマンスを禁止する州も
しかし、男女の性差の違いを意識するのは3歳頃からといわれており、こうした子供たちの10人に1人は、早ければ13歳でカミングアウトすることもわかっている。アメリカ保健福祉省も、「思春期の子供たちがこうした医療を受けることは、健康と幸福にとって極めて重要」と指摘している。
そのため個人や家族の決断であるべき医療に政府が介入することは、選択肢を奪うという批判も強い。さらに刑事罰まで与えることで、反LGBTQ意識を煽(あお)り、トランスジェンダーの子供たちを肉体的にも、メンタルにおいても危険に晒(さら)すものである、と怒りの声も上がっている。
NBAマイアミ・ヒートの元スーパースター選手、ドウェイン・ウェイドの言葉が象徴的だ。トランスジェンダーの15歳の娘を持つ彼は、「娘や家族の安全を考えるともうフロリダには住めない」と、つい先日カリフォルニアに引っ越してしまった。
未成年トランスジェンダーへの医療は19の保守州で禁止され、そのうち5つの州では犯罪となる。また禁止法は医療にとどまらない。現在全米21の州で、トランス女性選手が女子スポーツに参加するのを禁止している。
余波はトランス以外のLGBQにもおよび、ケンタッキー州、テネシー州、そしてフロリダ州では、ドラァグクイーンなど女装した男性演者が、公共の場でパフォーマンスを行うことを禁止した。
■LGBTQ反対派の受け皿になっている
ではなぜ、保守政治家はここまでしてトランスジェンダーやLGBTQの権利を制限しようとするのか? それは、もちろん票につながるからだ。
ピュー研究所によると、2022年の時点でアメリカ人の6割は同性婚を支持しているが、反対派も根強く存在している。例えば保守派の7割近くが同性婚に反対、特に白人のキリスト教福音派の反対は7割を超える。
キリスト教保守の教えと同性愛は相いれないと考えている人が根強いのは、中絶反対の動きとよく似ている。保守政治家はLGBTQをめぐる対立をうまく煽り、反対派の受け皿になっているのだ。
また、トランスジェンダーが芸能界を中心に活躍するようになったことも、注目を集める要因になっている。ドラマ「オレンジ・イズ・ニューブラック」でブレークしたラヴァーン・コックスや、「ユーフォリア」に出演したハンター・シェイファーなど、トランスジェンダー女性のスターが続々と誕生。メインキャストが全員トランスのドラマ「ポーズ」も大ヒットした。
今年のグラミー賞では、キム・ペトラスがトランスジェンダーの歌手として初めて、ゲイのサム・スミスとのコラボ曲で受賞。政治の世界でも、バイデン政権発足時に、保健福祉省次官補に初めてのトランスジェンダー閣僚レイチェル・レヴィンが抜擢された。
■トランスジェンダーを守るのは同性婚以上に難しい
ダイバーシティ&インクルージョンを推し進めるアメリカ社会では、それぞれの分野でさまざまな人種やジェンダーを代表する人々が活躍するようになった。おかげでトランスジェンダーへの理解も好感度も飛躍的に高まったのは事実だが、目立てば目立つほど反感を買うというのも、残念ながら現実だ。
不買運動に揺れるバドライトの話に戻ると、アメリカでライトビールを飲む層は人口比率が最も高い白人が多い。こうしたLGBTQへの反感が、保守州での反トランスジェンダー法成立をきっかけに、バドライトへの集中砲火になったと考えられる。
トランスジェンダーが保守政治家のターゲットになる大きな理由がもう一つある。すでに確立されている同性婚の権利に比べ、トランスに対する見方は、リベラルなアメリカ人の間でも揺れ動いているからだ。
ピュー研究所の別の調査では、アメリカ人の6割以上は、トランスジェンダーの権利や安全は守られるべきという意見を持っている。ところが、体の性別とは異なるジェンダーを認めるかとなると、賛成は4割にとどまる。また、未成年トランスに対する「思春期ブロッカー」の使用には6割以上が反対。トランス女性が女子スポーツに参加することに対しても、6割が反対している。
人権は守るべき、でも……、という複雑な感情が渦巻いているのだ。
つまり、トランスの権利を制限することで、キリスト教福音派など極右の保守だけでなく、中道保守から、トランスの権利拡大に懐疑的な中間層まで取り込める。保守政治家はそう踏んでいるのだ。
■日本で論争になった「ジェンダーレストイレ」も火種に
日本でも論争になったトイレの分け方についても、大統領選が近づいている今、政治的な論争の火種になっている。
アメリカはオバマ政権だった時代に、全米の学校で子供たちが自分が自認するジェンダーのトイレに入れるようになった。しかし保守派の抵抗が大きく、トランプ大統領時代にすぐに撤回された。
それどころか、前出のフロリダ州では先月、未成年トランスジェンダーへの医療禁止法案と同時に、州立の施設、公立学校などで、生まれながらの性ではなく、自認性のトイレを使った場合、犯罪となる法律が成立した。共和党議員は「公共の安全、良識、礼節を守るため」と説明している。
しかし、UCLA法科大学院ウィリアムズ研究所の最新の研究では、「トランスジェンダーが自分の性自認に沿った公共施設を使用することによって、そうでない人が脅かされるという証拠はない」と、論争をはっきり否定している。
自認するジェンダーのトイレを使っていいという論調は、やはり同性婚の合法化とともに高まった。その理由は、とりわけ若いトランスジェンダーが長年、アンチLGBTQからのハラスメントや暴力の犠牲になってきたからだ。
ウィリアムズ研究所の発表によると、トランスジェンダーが暴力犯罪の犠牲になる確率は、体の性別と性自認が一致しているシスジェンダーの4倍。いじめなどで心を病み、10代の自殺率もシスジェンダーの7.6倍とされている。
■トランスジェンダーが次期大統領選の争点に?
女性と自認しているのに、体の性が男性だから男子トイレに入らなければいけない、またはその逆の状態になると、ハラスメントを受ける可能性が上がるのは容易に想像できる。そのためトランスの子供たちはトイレを我慢して尿路感染症を起こすなどの健康問題も、数多く報告されている。
ちなみにリベラル州は基本、今も自認するジェンダーのトイレに入ることができるし、ニューヨークは、公立学校にジェンダーレストイレを設置することが義務付けられている。飲食店など、個室が1つずつしかないトイレも、男女共用にすることが義務付けられている。リベラル州と保守州の間には生活レベルで天と地のような違いがあり、それほどの分断が生じている。
フロリダ州のデサンティス知事は現在、トランプ氏の有力な対抗馬として共和党の大統領候補に名乗りを上げている。彼は予備選でトランプ氏に勝つために保守票をかき集めており、その格好の材料が、LGBTQでありトランスジェンダーへの攻撃なのだ。
5月にはバドライトの不買運動に続いて、小売大手の「ターゲット」が、6月のLGBTQプライド月間に向けて発売したレインボーカラーの服などを一部撤去した。一部の顧客から激しい苦情が寄せられ、彼らが店員に対する暴力的な行為を行ったためと説明されている。
こうした過激な動きは、今後ますます増えていくと予想される。来年の大統領選は、人口の1%にも満たないトランスジェンダーが争点になるかもしれない。
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シェリー めぐみ(しぇりー・めぐみ)
ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家
早稲田大学政治経済学部卒業後、1991年からニューヨーク在住。ラジオ・テレビディレクター、ライターとして米国の社会・文化を日本に伝える一方、イベントなどを通して日本のポップカルチャーを米国に伝える活動を行う。長い米国生活で培った人脈や米国社会に関する豊富な知識と深い知見を生かし、ミレニアル世代、移民、人種、音楽などをテーマに、政治や社会情勢を読み解きトレンドの背景とその先を見せる、一歩踏み込んだ情報をラジオ・ネット・紙媒体などを通じて発信している。
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(ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家 シェリー めぐみ)
]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-2380336/