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人口減少が進む地域での地域づくりとSNS~SNSは地域の「敵」か「味方」か?【調査情報デジタル】
2024年6月8日(土)6時0分 TBS NEWS DIG
地域の小さな出来事がSNSによって大炎上してしまい、地元に暗い影を落とす例がたびたび起きている。しかし逆に、SNSによって地域に多様な豊かさをもたらす可能性もあるはずだ。徳島大学の田口太郎教授による寄稿。
地域の小さな問題がSNSを通じて炎上
ここのところ、地域に関わる「炎上」が度々起こっている。それは「都市vs田舎」や「若者vs高齢者」などわかりやすい対立軸のあるトラブルなどがSNSに投稿され、投稿者の想像を超えて広く拡散、それを更にメディアが取り上げ、論点を強張することで対立が更に鮮明化されていく、という具合である。
それによって地域社会に対して不特定多数から様々なバッシングが始まり、地域は疲弊し、投稿者自身がその勢いに戸惑うことも多い。そして、数か月もすると何事もなかったかのように騒ぎは収まっていく。地域には重たい空気が残り、そこに勝者は居ない。
SNSは便利なツールである。しかし、SNS空間は匿名性に守られた過激な発言が行き交う。当然、無防備に発信される配慮にかけたような投稿は匿名性の社会で曲解され、批判とともに拡散されてしまう。これまでも様々な出来事がありつつも、あまり注目されてこなかった地方の小さな地域。突然のSNSでの炎上は地域に大きな困惑をもたらしている。
ただ、こうした外部の強い反応がすべて正しく、地域や高齢者は悪なのか、とも言いにくいのが昨今のSNSの炎上ではないだろうか。というのも、炎上させる側の論理には一見、その正当性が強くうかがえる。しかし、よく考えてみると「一理」はあるが、すべでの理はない。発信される情報というのは発信者による一面的な情報であることが多い、ということが考慮されずに拡散していることが多い。当然、発信者側は自身の正当性の主張としての発信をする。つまり、発信者の一方的主張である、ということである。
故にその発信をもって事例を理解することが難しいにも関わらず、SNSはこの一方的主張を鵜呑みにしたうえで、他方に対する評価を下し、拡散されていく。もちろん、これまでも同じような理不尽は地域に多くあり、その度に弱者側は泣き寝入りするしかなかった。その点で言えば、弱者側から発信する手段が生まれた、ということは歓迎すべきこと、という面も有るだろう。
とはいえ、構造が単純化されることで周辺の様々な事情は無視され、「田舎はこういうもの」「高齢者はこういうもの」とレッテルが貼られ、一方が悪者として匿名による多数の無責任な投稿によって苦しめられてしまう。
SNSによる多様な人々との接続
では、SNSというのはこれに慣れていない地域にとって不適切なツールなのか、というとそうとは限らない。
もともと人口が少なく、閉塞感を抱えている地域にも様々な人が住んでいて、それぞれが自分自身の生活をより豊かなものへとすべく様々な取り組みをしている、という点では都市も地方も同じである。ただ、都市と違い、地方ではなかなか人と出会えない、というデメリットがあった。
というのも、地域コミュニティも地縁型のコミュニティが中心であり、人口の少なさからそれ以外のコミュティとの接点がそもそも少なく、自分の趣味や考え方の合う人と出会う機会が稀であった。
一方の都市部の人口規模は多様な価値観を持つテーマ型コミュニティも内包している。故に、巨大な人口を抱える都市の特性として、コミュニティの多様性があり、この多様なコミュニティの存在が多くの人たちにとっての“居場所”を作り出してきた。
つまり、人口が多いということは多様な人々にとって、それぞれの居場所を見つけやすい社会であることを意味する。一方の地方、特に人口の少ない過疎地域では規模が小さい故に多様なコミュニティが生まれにくい状況にあった。
今日の社会では「価値観の多様化」が様々な場面で尊重されるべきものとして言われている。ジェンダーや性的指向性に限らず、趣味や仕事にいたるまで様々なことが多様化していることがいわば「社会の豊かさ」を創り出している。
では、このような豊かさを得ることは人口が少ない地域では難しいのか、という問題に一つの活路を創り出したのがSNSとも言えるだろう。一般の人々が発信し、ハッシュタグと呼ばれるキーワードでの検索も可能であることから、これまでつながることが出来なかった人々がSNSを介してつながり、地縁型コミュニティの枠を超えた交流や協働が生まれてきた。
特に地方の社会人であれば一人1台車を所有しているので、フットワークも軽い。結果的に、地域を超えてテーマ型のつながりは広がっている。つまり、SNSはこれまで繋がり得なかった人たちを接続させる役割を果たしたと言えるだろう。
背後にある相互不理解と同質的集団
長短両面持つSNSであるが、昨今の地域において「田舎」や「高齢者」が批判の的となる「炎上」が多発しているのはなぜか?その一部を見ていると、相互不理解が見える。
というのも、SNSへの投稿が広く拡散されることで共感が得られた、と投稿者の正当性認識が高まり、確信となる。すると確信された意見であるため、地域からでる異論に耳を貸さなくなってしまう。やがて自分と同調してくれる意見のみを受け付け、反対する意見を拒絶することで孤立していってしまうのである。
地域での孤立は孤独感を生み出すが、SNSを介した同士とは逆に強い結束が生まれる。つまり、SNSの投稿によって形成される同調機運は極めて同質性の高い、排他的な集団となってしまうのである。
そのため、結果として対立する意見とのコミュケーションが絶たれ、不理解が進む。その同質性を理解したうえで他の意見と向き合う必要があるが、多くの「炎上」ではただ、強く相手を非難することに終始してしまい、前向きな意見交換となることは稀である。
これは炎上した案件に限らず、SNSは様々な人々のアクティビティがメディアとして発信されるため、当初は良い関係にあった人たちも、一旦関係が悪化するとブロックしてしまうため、同様に相互不理解が進んでしまうのである。
同質的集団と多様な地縁型社会
このように人口の少ない地方に様々な変化をもたらしてきたSNSであるが、その特性が十分認識されないままに広く利用されているのも、その特徴である。特にX(旧Twitter)などのSNSは表示される他者の投稿もシステムのアルゴリズムによって似たような趣向性の投稿が表示される仕組みになっている。
つまり、我々がそれぞれのアカウントを通じて見ている他者の投稿はシステムによって選別された“近しい”考えに基づいた投稿であることだ。これはSNSに限らずネット上で目にする広告類もビッグデータによって閲覧者の趣向性に合わせた広告が表示されるようになった。
一方で、それを見ている我々は、多少なりともそれを頭で理解しているものの、直感的には自身と似た感覚の投稿が並んだSNSのタイムラインから「自分の考え方が主流」と思ってしまう。自身が同質的集団の中に自身を位置づけることで、現実社会での位置づけと大きなズレが生じてしまう。
一方で、実際の地域社会の価値観は社会の成熟化とともに多様化してきており、都市ほどではないにせよ、地方でも多様化は進んでいる。多様な意見がある中での自身の意見であるにも関わらず、他人の意見は全て自分への批判的な意見として受け止めてしまうのだ。
結果的に地域の中でも自身の意見の特殊性に気づかなくなってしまうのである。各種の「炎上」の火種となる投稿は、若者や都市側から発せられることが多いが、発信する側にもSNSの性質をよく理解したうえでの発信が求められる。もはやこうした理解は“留意する”というよりも、SNS利用の上でのリテラシーとして認識しておくことが必要だろう。
人口減少下でのSNSの可能性
このように、視野を狭めてしまいがちなSNSであるが、先にも述べたように、上手に使いこなすことができれば地域にいろんな可能性をもたらすことも可能であろう。例えば、SNSがもつフォローという機能は、日常的なコミュニケーションを個別に取らずとも、それぞれの活動状況を理解することが出来る。
特に今日のように人々の流動性が高まっている中では、地域は少しでも人手がほしい。これまでのように、地域に居住する人々では高齢化の進展もあり、地域の維持管理が難しくなっており、ここで大きな期待を寄せられているのが、「観光以上、定住未満」とも言われる「関係人口」である。関係人口は地域に住んでいなくとも地域に貢献してくれる人材を指すが、こうした人材とどのようにつながるか、地域の状況をどう伝えていくかに、SNSは大いに役立つと思われる。
というのも、SNSによるフォローはかつて、疎遠になった人とも続いていた年賀状のような意味合いもあると考えられるからだ。発信する側は日常を投稿しているが、フォローという仕組みは年賀状のような細く長い関係づくりに寄与している。実際に、SNSでフォローすることで、直接的なコミュニケーションを取らずともそれぞれの近況を把握することは可能である。
このような仕組みは、地域や地域で暮らす人々の日常を外部で地域のことを気にしている関係人口にとって有効であろう。SNSがなければおそらく定期的に情報誌を印刷・送付するなど関係の維持に一定以上の労力が必要であるが、SNSは身近な人への発信のつもりで投稿するものが、フォロワーに広く広がっていき、さらに公開範囲の設定によっては更に広がっていくことも可能である。
地縁社会側のオープン性
このように上手に使いこなせば極めて利便性の高いSNSを地域づくりに有効に活用していくには、地域側の“懐の広さ”が必要だろう。
SNSを介してつながってくる人々は匿名性を有した多種多様な人々であり、時にきわめて狭い視野となっているものも含まれる。こうした人達と協働するとどうしてもそれまでの地域づくりの進め方、地域の旧来からの物事の進め方ではうまくいかないことも多々ある。
こうした時に「郷に入っては郷に従え」という地域主導の旧来型の進め方をすることは、関係してくれる外部者たちを遠ざけるリスクが有ると同時に、それが発信され、炎上につながるリスクすらある。外部からやってくる様々な人々とのコミュニケーションを、「新しい価値観との出会い」として懐深く受け止めていくような包摂性が必要である。
こうした包摂性は多様な価値観の存在を共有することで生まれると考えられるため、特定のリーダー単独というよりも、地域の老若男女など地域内の様々な価値観を持った人材との連携によって受け止めていくことが必要であり、効果的であろう。
こうした様々な価値観を持った外部人材を地域の力に継続的に取り入れることができれば、人口が減少していく中でも持続的な地域づくりを展開していくことが可能だろう。
<執筆者略歴>
田口 太郎(たぐち・たろう)
徳島大学大学院社会産業理工学研究部教授。
専門分野は都市計画、地域計画、まちづくり。
1976年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻(博士後期課程)単位取得退学。博士(工学)。
総務省 地域おこし協力隊アドバイザー。全国町村会 今後の地域政策のあり方に関する研究会委員。徳島市国土強靭化地域計画推進委員会委員。徳島県総合計画審議会委員。
著書に「人口激減社会の地域の自律とは」「流動型ライフスタイル社会における循環型地域の構築」など。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。
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]...以下引用元参照
引用元:https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0608/tbs_240608_8283937431.html