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◆いまの心境
長谷部誠さん:いまだに実感がないというか。ただ、こうして皆さんに、すばらしい形で出迎えてもらえるので、少しずつ実感を得ているところです。期間としても長い間プレーさせていただきましたし、自分のキャリアは、これ以上のものはないと思っているのでやりきったという気持ち強いですね。
Q.引退を決められたとき内田さんにはお話があったそうですね。
内田篤人さん:そうですね。こっそり、こっそりじゃないですね。お話うかがいまして。本来、長谷部さんって、こんなにしっかりしてないんですよね。会見を見させてもらったんですけど、もっとまじめにコツコツ進んでいく会見なのかと思ったら、何かちょっと笑いも交えてみたり。
長谷部誠さん:いつもメールとかやってても、僕は何かボケるんですよ。でも、「本当、つまらない」といつも言うんです。
Q.引退のときのメールはどう返したのか
内田篤人さん:グループで作ってるのがあり、そこに『今シーズンで止める』っていう形です。
長谷部誠さん:川島永嗣、吉田麻也とかも入っていて。そういう所に送って。いつも(内田は)レスポンスが早いんです。
内田篤人さん:そこは、一番、気をつけています。
◆長くプレーできた要因
Q.16年、ドイツのリーグでプレーしたというのは、アジア人としては最長だと思いますけれども、16年も同じリーグでプレーできたのは、なぜでしょうか。
長谷部誠さん:もちろん周りの人、自分だけの力じゃなくて、周りの人たちの力もあると思うんですけど、でも僕は、結構、抜け目ないんです。周りを見て、自分がどうしたら生き残れるかとか、そういうことをすごく考えるタイプなので、変な言葉で言ったら世渡り上手。
内田篤人さん:確かに、それだけ長い間プレーしていたら、同じポジションで補強っていうのは絶対されるんです。どんなにプレーがよくても、けがした場合もあるし、日本代表で離れるときもあるし。その中で生き残っていくっていうのは、長谷部さんらしいというか、チームが勝てないときにどうやったら勝てるようになるか。長谷部さんがいないときに、長谷部さんの存在がチームに影響してくるっていうのが、僕の中では一番大きかったかなと思いますね。
内田篤人さん:ずっとドイツじゃないですか。ほかの国に行きたいなとか、変化を求めないのかなっていう。恐れているのか、今まで自分がやって来た道を信じているのか。変化にはパワーがいるから、移籍するのもパワーはいるし。そういうのを考えているんですか。
長谷部誠さん:20代のころは、イングランドプレミアリーグに移籍したくて、いろいろオファーをいただいたときは移籍できなかったり、逆に自分が行きたいときにオファーが来なかったりとか、そういうのはあったので、自分の中では環境を変えたいというときもあったけど、30超えてくると、契約も1年になってきたり。それからいつの間にか、10年。40歳に。10年進んでしまったみたいな。
内田篤人さん:日本に戻ってプレーしようといのも考えてなかったですか。
長谷部誠さん:考えないことはなかったけど、でも、やはりドイツで、フランクフルトでいいキャリアを積んでいたので、そういうタイミングが最終的にはなかったという答えです。
内田篤人さん:いま、若い選手が海外を目指しているのですけど、これだけプレーして、在籍してきた長谷部さんが思う、これは必要だという思うことは何がありますか。僕は根性、魂とかそういう部分。
長谷部誠さん:それは間違いなくあると思いますね。そういう粘り強さだったり。うまくいくことだけではなく、やっぱり苦しい時期も、内田も僕もそうですけど、長くあったし。そこで踏ん張って、歯を食いしばってやるところは必要になってくると思うし、もちろん内田みたいに言葉が全然勉強しなくてもうまくできる選手なんだけど。人それぞれだと思いますけど、やっぱりプロ選手としての才能とかそういうものだけじゃなくて、そういう気持ちの部分だったりとか、ビッチ以外のところっていうのも必要になってくると思います。
◆日本代表で約8年間、キャプテンを務めたことについて
Q.8年間、キャプテンを続けてきた輝かしいキャリアだと思いますが、そういう素質を持っていたのか。それとも地位が人を作っていたのかどっちですか。
長谷部誠さん:後者だと思いますね。もともと僕は、キャプテンというタイプではなかったですし、2010年のワールドカップの直前に岡田監督にから。僕は、そのとき、ゲームキャプテンだったんですけど、そこから自分がキャプテンという立場になり、その理想のキャプテン像に自分から寄せていった。立場が人を作るじゃないですけど、その立場になって、初めてそういう方向に向かっていった気がします。
内田篤人さん:なかなかキャラの濃い人たちがいっぱいいましたけど、最終的には、「長谷部が言うならしょうがないか」という形に持っていくんです。長谷部さんって、群れなかったんですよ。グループに属すじゃないですけど、1匹狼でもない。選手みんな平等で、監督とも平等に接して、そういったところが自分たちからするとキャプテンとして一番向いてたのかなと。そういうのは意識していたのですか。
長谷部誠さん:もともと僕一人で温泉とか行くので、結構、孤独というか、一人で物事を考えることはよくしていて、代表合宿でも結構、自分の部屋に閉じこもっていることもあったんですけど。内田は、こんなこと言ってますけど、すごく僕のこと助けてくれて、結構、中立で。例えば、ほかの選手が何か言っていても、『俺はそう思わない』みたいな感じで、うまくバランスがとれた。こういう選手もいて、いろんな選手がいて、自分も助けられて、長い間、キャプテンをやらせていただいというのはありますね。
Q.マインドでいうと、何を、一番、大事にしてきましたか。
長谷部誠さん:とにかくサッカーに対してうそをつかないじゃないですけど、周りにウソをつくことができますけど、やっぱりサッカーに対して自分の向き合いかた。やっぱり自分には嘘をつけないので、そういう部分では、自分に厳しいのかわからないですけど、サッカー選手として当たり前のことを当たり前に積み重ねてやって来れたという自負はあります。
内田篤人さん:ここまで来て、いい感じですけど、ちょっと崩しますよ。川島永嗣さんと長谷部さんの面白いエピソードないかなって、さっき電話で話したんです。僕もライン6年分を見返したんですけど、1つもなくて。永嗣さんから、折り返しできた1つだけ。おすし屋さんに一緒に行って、カウンターから、長谷部さんが一瞬でいなくなったという話。
長谷部誠さん:あーあれね。カウンターで食べていて、椅子をずらしたら、そのままスローモーションで落ちていったということだと思う。
内田篤人さん:それだけ。それが一番の面白いエピソードでした。
◆外から見た日本代表は
24日、日本代表W杯アジア2次予選のメンバーが発表されました。会見では、森保監督から長谷部さんへのメッセージもありました。
森保一監督:「ロシアのワールドカップで一緒に活動させてもらいながら、サッカー選手として世界の中でお手本になる。日本人に夢を与えてくれたそういう存在だと思っています指導者として日本のサッカーの発展に貢献していただきたいなと思っております」
長谷部誠さん:森保さんといろいろコミュニケーションも取らせていただいて、僕も学ぶことがこれから非常に多いので、引き続き、いろいろ教えていただきたいなと思います。
Q.37歳の長友選手もいましたね。
長谷部誠さん:相変わらずギラギラしてますね。僕は長友のことを“ギラ友”と呼んでいます。
Q.ベスト8の壁は、なかなか突破できませんが、ここをどう越えていきますか。
長谷部誠さん:非常難しいテーマというか、深いテーマだと思いますけど、これまでの日本サッカーは、違いなく成長してきてると思うんですけど、これまでの10年から20年から30年よりも、ここからベスト8、ベスト4の壁を破っていく方が、やっぱり難しいと思うんですね。選手ももちろん成長してきてると思いますけど、そこだけでなく指導者もそうだし、メディアの皆さん、サッカーファンの皆さん、すべての人たちが成長しなければいけないとは思っていて。僕自身もこれから指導者の道に進もうとは思っているので、そういうところで、何か日本サッカーに還元できることがあればいいなと思っています。
◆目指す指導者は
内田篤人さん:そのまま残って、ヨーロッパで指導するというのが、レベルがぐっと上がると思うんですけど、日本にとって大事だなっていう、そういうご自身にとっての意識はありますか。
長谷部誠さん:最終的にフランクフルトというクラブで10年間プレーして、ここでの積み重ねてきた信頼があり、今回、クラブに残って指導者の道を進ませてもらえるというのがあると思うので、そういうものは、僕はドイツの中では外国人になるので、そういうポジションを与えていただけるというのもなかなかないことだと思うので、自分はそこでまずは一歩一歩、指導者としての経験を積んで、積んだ先に、何か日本サッカー界に還元できることがあればいいなと思ってます。ただ、最初から日本サッカーのために何かこうやろうっていうそういうことでもないんですね。
Q.ワクワクしますか。これからも楽しみですか。
長谷部誠さん:こうした話しますけど、本当に大変なことだと思うんですけど、やはり自分の違う国で、言語も母国語も違うし、僕自身もまだまだドイツ語勉強しなきゃいけないと思ってるし。そういう多国籍なグローバルなチーム選手たちと指導という違うなかでやっていくというのは、すごく大きなチャレンジです。なかなか簡単なことではないと思いますけど、そこにチャレンジできる。そしてするという楽しみがありますね。
内田篤人さん:最短でどのくらいで取れるんですか。
長谷部誠さん:最短で取ろうと思ってないんだけど、いま言われているのは、まずAを取るのに2年間の指導実績が必要だし、そうやって考えていくと最短でも恐らく一番上の指導者ライセンスを取るのに5年、6年はかかると思います。
◆家族について
長谷部誠さん:支えていただき家族には感謝しかないのですが、これから少しゆっくりできるので、家族にしっかりと自分の時間を使っていきたいなと思います。内田君とも家族ぐるみで、ゆっくりどこか行きましょう。お楽しみにしてますよ。
長谷部誠さんにお話を聞きました。ありがとうございました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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