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なぜ僕は炎上前提で激しい言葉を放つのか…橋下徹がSNSで情報発信する際に必ず守っていること
2024年4月12日(金)9時15分 プレジデント社
SNSで情報発信する際には、どんなことに気をつけるべきか。元大阪市長・大阪府知事の橋下徹さんは「ときには炎上前提で激しい言葉を放つことも必要だ。ただし、議論のやり方には注意すべきだろう。こちらに正当な言い分があったとしても、相手と同じ土俵に乗ってやりあえば後味の悪さしか残らない」という——。
※本稿は、橋下徹『情報強者のイロハ 差をつける、情報の集め方&使い方』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
提供=TNマ
■読まれない情報に意味はない
相手の関心をどう引くか。情報発信においてみんなが腐心するポイントだろう。
単にデータを羅列したような味気ない情報は誰も読んでくれない。読まれない情報は無意味だ。
だから時に、感傷的な表現、ユーモラスな表現、シニカルな表現、あるいは怒気を含んだ表現を用いて、他者との差別化をはかろうとする。
効果的な情報発信には、そうしたエモーショナルなスパイスも大切だ。
場合によっては過激な発言も有効だろう。僕がよくやる戦法である。当たり障りのない言葉だと埋もれかねない。多くの人になんとしても知ってほしい。そんなときには炎上前提で激しい言葉を放つ。
■あえて根拠を示さない感情的な反論をする
ただし、SNSは公共の場だ。発信力を上げるための工夫は大切だが、社会通念を逸脱してしまえば元も子もない。
SNSをめぐるトラブルの代表格は、名誉毀損である。
評論家Aから根も葉もない言いがかりをつけられる。そうなったら僕は徹底的に反撃する。時にはケンカ腰の物言いも辞さない。
「それでよく評論家なんてやってられるな。ぜんぶデタラメ。サイテーだな。恥を知れ!」といった調子だ。
すると「橋下はたいした根拠もなく、感情的に言っている」と批判する人が出てくる。でも「公然と事実を摘示(提示)」してしまうと名誉毀損に問われかねない。だから僕はあえて根拠を示さないのである。
「評論家のA氏が嫌いだ」というのは、僕の意見、感想だ。表現の自由である。
でも「評論家A氏はかつて詐欺罪の嫌疑をかけられた。まだその疑惑は完全に晴らされていない。偉そうなことを言うまえに、まず身の潔白を証明すべきだ」というように「事実」を摘示(提示)してしまうとマズい。事情はどうであれ、A氏の社会的評価を損なわせるのだから名誉毀損になりうる。
■人格攻撃は名誉毀損、侮辱罪に問われる
名誉毀損行為と並び、SNSで多発しているのが侮辱行為だ。侮辱罪は刑法231条で次のように定義されている。
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、1年以下の懲役もしくは禁錮もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料に処する
名誉毀損では「公然と事実を摘示(提示)」することがアウト。かたや侮辱は「公然と人を侮辱」することがアウトだ。つまり、個人的な意見や感想であっても、またそれが抽象的な表現であっても、度を越えた悪口は侮辱として責任を問われる。
写真=iStock.com/Diy13
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Diy13
議論が白熱していたとする。
「あなたの主張のここは大間違いだ」これは単なる意見だ。問題ない。
「おまえは三流大卒だから、そういう考えしかできないんだ」これは明らかな人格攻撃だ。侮辱だ。罪に問われる可能性がある。
どんな言葉なら表現の自由の範疇なのか。一方、どんな言葉なら侮辱に該当するのか。そこに実は明確な定義はない。その発言がなされた状況や経緯、特に多くの人がどのように読みとって感じるのかを基準とした解釈にゆだねられる。
■「学者バカ」はセーフ、「バカ学者」はアウト
法律家のあいだで一例としてよく用いられるのが、「学者バカ」は許されるが、「バカ学者」は許されないという基準だ。
「学者バカ」からは、研究に没頭するあまり世間のことに疎い人、というニュアンスが汲み取れる。どちらかと言えば、それは好意的なニュアンスだろう。
「バカ学者」からは、好意的なニュアンスがいっさい汲み取れない。まさに侮辱である。
「ほんとにあいつはアホだな〜」
とあなたが知人を評したとする。この場合はどうだろうか。侮辱に相当するだろうか。前後の文脈から、その発言に親愛やリスペクトを汲み取れるなら、表現の自由の範疇だろう。でも、そうでないなら侮辱にあたる。
またその発言をしたときの口調も判断要素のひとつになりうる。和やかな口ぶりなら好意的表現と見なせるし、吐き捨てれば侮辱的表現だろう。
侮辱かどうかの見極めには、繊細な解釈がからむ。でも難しい話ではない。要するに、いたずらに相手の人格を否定するのは許されないということだ。ただし、許されないのはあくまで人格の否定である。意見を戦わせるぶんにはなんの問題もない。
率直な意見をぶつけ合い、成熟した議論をまっとうする。そのことをつねに心がけたい。
■「アホ、ボケ、カス」も今は微妙な表現
言葉は生き物だ。時代や社会が変われば、私たちが日ごろ用いる言葉も変わる。となればとうぜん、表現の許容範囲も変わる。
「アホ」「ボケ」「カス」という言葉はかつてセーフだった。でもいまは微妙だ。公然と発すれば侮辱として責任を問われるおそれがある。
僕はSNSで時として激しい言葉で相手を糾弾することがある。自分にとって悪質なデマを振りまくような相手、特にメディアやメディアを通じて発信している公人・準公人などには容赦しない。
ただし、アウト、セーフの境界はつねに冷静に見定めている。激しい物言いをする際には、なおのこと言葉選びに慎重を期す。
でも以前、こんな想定外のケースを経験した。
ある国会議員がSNSで僕の人格を弄ぶようなことを言った。その発言はとうてい容認できるものではない。僕はその人物を痛烈に非難した。すると今度は僕に関する根も葉もない事実を示し、嘲るように牽制してきたのである。
その人物は多くのフォロワーを擁していた。つまり国会議員であると同時にSNSにおいて一定の影響力を持っている。となれば、その事実無根の発言はなおさら看過できない。そこで僕は法的措置に踏み切った。相手を名誉毀損で提訴し、慰謝料500万円の支払いを求めたのだ。
■裁判所がくだした「予想外の判決」
ところが結局、僕の訴えは認められなかった。裁判所から請求棄却の判決を下されたのである。それはなぜか。その判決に至る裁判所の見解は、思いもかけないものだった。ポイントになったのは第1審での次のような見解である。
たしかに被告(相手)のその発言は名誉毀損に該当する。でもその前段となった原告(橋下)の発言にも、被告に対する蔑みと挑発が認められる。原告は自身のその発言によって、被告が悪感情を抱くだろうことは事前に容易に想像できたはずだ。
となると、原告は自身のその発言をした時点で、相手から逆に名誉毀損や侮辱にあたるような反論を受ける危険性をあらかじめ承知し、引き受けていたと見なせる。
——それが裁判所のおもだった見解だった。
つまり、自分の行為が招く危険性を十分認識していたにもかかわらず、あえてその行為を実行したのだから、たとえ結果的に損害をこうむったとしても相手の名誉毀損的行為は違法視されない、ということだ。
こうした法概念を「危険の引き受けの法理」と呼ぶ。
■SNS上の「やられたらやり返す」はよくない
「危険の引き受けの法理」はこれまでごく一部の刑事事件、民事事件に適用例があるものの、まさか名誉毀損の審理に持ち込まれるとは思わなかった。もちろん僕としては不服だったが、一方でそんな解釈もあるのかと妙に感心してしまった。
橋下徹『情報強者のイロハ 差をつける、情報の集め方&使い方』(徳間書店)
要するに、あっちも悪いけど、こっちも悪い。お互いさま。自己責任でやったことなのだから裁きません。そういう見解だ。
こうした今回の判例は、名誉毀損や侮辱をめぐる今後の裁判にいくらか影響を及ぼすかもしれない。
SNS社会はますます深化し、複雑化し、雑多になっていく。それに応じて、情報発信の節度のあり方も問い直されていく。
自戒を込めて言えば、たとえこちらに正当な言い分があったとしても、相手と同じ土俵に乗ってやりあえば後味の悪さしか残らないということだ。自分の名誉を守るのは大切だ。でも、やられたらやり返す、そんな措置だけでは痛み分けに終わりかねない。
情報発信者としてのあるべき態度を再度考える良い機会になった。
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橋下 徹(はしもと・とおる)
元大阪市長・元大阪府知事
1969年生まれ。大阪府立北野高校、早稲田大学政治経済学部卒業。弁護士。2008年から大阪府知事、大阪市長として府市政の改革に尽力。15年12月、政界引退。北野高校時代はラグビー部に所属し、3年生のとき全国大会(花園)に出場。『実行力』『異端のすすめ』『交渉力』『大阪都構想&万博の表とウラ全部話そう』など著書多数。最新の著作は『折れない心 人間関係に悩まない生き方』(PHP新書)。
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(元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹)
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]...以下引用元参照
引用元:https://news.biglobe.ne.jp/economy/0412/pre_240412_9717711459.html