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■2次避難後…初の一時帰宅 被災住宅の現実
高屋地区の住民 番匠裕介さん
「これSOSの『O』の部分、名残ですね。もう撤去されちゃったんですけど。ここにSOS作って、孤立してるってやっていた」
地面には、砕けた屋根瓦で作られた「O」の文字がある。
番匠さん
「本当にめどが立たないというか。本当に先が見えない状態」
能登半島の日本海側に位置するのが、珠洲市高屋地区だ。
番匠さん
「悲しいかな。本当に変わっちゃったなと思って」
元日に能登半島を襲った最大震度7の地震。珠洲市では2度の強い揺れが発生。およそ50秒にわたって揺れが続いた。
高屋地区は土砂崩れなどにより、およそ1週間にわたって孤立状態となった。この地区には100人ほどの住民が生活していたが、現在、そのほとんどが2次避難を余儀なくされている。
珠洲市の高屋地区に向かう道路。地震から1カ月以上経っているが、道路は隆起していたり、陥没したりしている箇所が多く見受けられる。
8日、2次避難後初めて地元へ帰る住民に同行し、集落を訪れた。
番匠さん
「できれば港とか、この辺ずっと見ていってほしい」
一時帰宅の目的は、被災した自宅の片付けや荷物の持ち出しだ。
高屋地区の住民 番匠さとみさん
「(自宅は)もう壊します」
「(Q.壊して建てる?)建てないです、建てない。しばらくは仮設住宅が当たればいいなと」
女性の自宅はかろうじて建ってはいるものの、屋根や壁が落ち、もう住むことができない状態だという。
■かつて原発予定地…地震で隆起 住民の思い
番匠さん
「原発立地予定地というのが、あそこらへんだったんですよ。もし建っていたとしたら…」
「(Q.この距離で地震が起きて(原発が)あったらと思うと?)恐怖でしかない。想像できませんよね、正直どうなっちゃうのって」
高屋地区は、かつて珠洲原発の予定地だった場所。1970年代に計画されたものの、街の至る所に反対の看板が立ち、建設予定地には監視小屋が作られるなど、住民の強い反対運動により、2003年に計画は凍結された。
建設予定地だった場所のすぐ近くの漁港では、今回の地震により、地面がおよそ1メートル隆起。漁船の船底がついてしまい、船が出せなくなった。
番匠さん
「ああいう白い所、あそこまで水があった」
「(Q.結構メートル単位で水位が…)下がった」
「(Q.パッと見1メートル以上は下がっていますよね?)下がっていますね」
8日、高屋地区に一時帰宅した漁師はこう話す。
当時、珠洲原発に反対 高屋地区の漁師
「ここで魚を取って、元の生活に近い形でやりたいというのは、(漁師の)皆さんの希望」
「今思えば、本当にあの時(原発が)できなくて良かった」
「福島の事故があっても、いまだに本当に完全に(元通りに)なっていない」
「あの時、反対を頑張って、(原発が)できなくて本当に良かったなと思っています」
■認知症の98歳母を支える3姉妹 避難の現実
甚大な被害を受けた珠洲市では、避難できない事情を抱えた人もいる。
母と3人の姉妹で生活している舩橋啓子さん(75)。自宅は被災したため、1カ月以上、隣の納屋で身を寄せ合いながら暮らしている。
舩橋さん
「自宅は床が波打っていたり、雨漏りもひどいし、建物が立たなくなって。液状化がひどくて傾いたりしていて、とても住めたものではないので」
元々、農機具などを入れていた納屋にこたつや布団を置き、震災2日目から暮らし始めた舩橋さん家族。避難所に行かず、ここで生活するのには、ある理由があった。
舩橋さん
「犬がいるのと、認知症の進んだ母がいまして。他の人に迷惑が掛かるので」
舩橋さん
「これ脱いで、これ脱がないと」
母・舩橋てるさん(98)
「これは着ていかないのか」
啓子さん
「これは脱いでいないと、とめられない」
母親のてるさんは、珠洲市生まれの98歳。3人の娘たちをこの地で育て上げた。
軽度の認知症を患っているてるさん。震災後、症状が悪化しているという。
舩橋さん
「やっぱり失禁とか」
「(Q.地震が起きてどれぐらいで(悪化)?)もう(地震)直後ぐらいから。ストレスでしょうね」
長女の啓子さんは、70歳の次女や65歳の三女とともに、3姉妹で協力して母を支えている。
しかし、環境が変わってしまったこともあり、てるさんはふさぎ込んでしまうことが多くなったという。
舩橋さん
「普通にうちでお葬式出してもらいたかった、みたいな。もう今までの98年の人生を、ずっと悲しいことばかり思い浮かべてみたいな感じで」
地震発生から3日後の先月4日には、てるさんの姿が突然見えなくなってしまうこともあったという。
舩橋さん
「私らが片付けたりしている間に、ふいって行ってしまって。慌てて探して歩きました。姉妹で『私はこっち』『私はあっち』という感じで」
およそ30分後、てるさんは無事戻ってきた。
■2次避難予定も…知らない土地に不安な母
先月末からは中断していたデイサービスが再開。迎えの車を待っていると…。
舩橋さん
「あーもう。あんまり前まで行っとったら、危ないから」
「あんまり前まで行っとったら、危ないから」
足腰の丈夫なてるさんは、少し目を離すとどんどん歩いて行ってしまうという。
舩橋さん
「津波ここまで来たんです。ここまで来ました」
「(Q.結構ギリギリまで?)ギリギリ、はい」
津波は自宅の目の前まで押し寄せた。自宅や納屋は間一髪で難を逃れたが、海側にあった畑は波にのみ込まれてしまった。
舩橋さん
「ダイコン、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーとか普段食べるもの。みんな流されてしまいました」
母・てるさん
「死に際に、ひどい目にあった」
自宅はかろうじて建ってはいるものの、土台部分が崩れ、倒壊の恐れがあるとして立ち入りができない状態になっている。
道路に面して建てられていた蔵は崩れ落ち、がれきがはみ出してしまっているが、自分たちではどうすることもできないのが現状だ。
舩橋さん
「(Q.こちらは?)仮設トイレ。ただ普通にバケツを置いてフタをしてあるだけなんですけど」
この地域は断水が続いていて、家の中にも入れないため、庭にテントを設置し、トイレとして使用している。
いつまで続くか分からない避難生活だったが、次女の知人が見つけてくれた金沢の住宅に来週、2次避難することになった。
てるさんは知らない土地に行くことに不安を抱えていたが、娘たちに付いて行くことを決断した。
母・てるさん
「もう100(歳)近くなってから、よそへ行くのもなんか嫌だけど。今じゃ子どもに付いて行かんと仕方ないから…あきらめています」
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年2月9日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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