X(旧Twitter)では、いつも誰かが炎上している。
なかでもネット上で「医クラ」(=医療クラスター)と呼ばれる、医師をはじめとする医療関係者は、たびたび燃料を投下している。
その理由として挙げられるのが、新型コロナウイルス感染症である。この3年間は、彼らの独壇場だった。
「マスクをしろ」「家にいろ」
まるで神様であるかのように、人々に命令し、反論が来れば「素人」呼ばわりして、ねじふせてきた。
しかし、その神通力は、もはや通用しないように見える。
■日本の医療制度の問題点
11月17日、インターネットテレビABEMAの報道番組(*1)で、「『国民皆保険制度なくなってほしい』投稿が物議 日本人は延命治療し過ぎ?」というテーマの議論が行われた。この中で、制度アナリストの宇佐美典也氏は、日本の医療制度の問題点として、次の4点を指摘した。
ひとつは「生活保護受給者の医療費がゼロなこと」、ふたつめには「有料老人ホームの隣に病院があり、それを訪問看護で処理して高い診療報酬を取るビジネスモデル」、3つめに「整骨院の保険適用」、4つめとして「延命治療」だという。
この宇佐美氏の放送での発言をまとめたポスト(ツイート)(*2)が、議論を呼んでいる。
というか、そのポストをもとに、「医クラ」の人たちが宇佐美氏に噛みついている、と書くほうが妥当だろう。
なぜ「医クラ」は、いちいち、こうした発言に反応するのだろうか。
もちろん、Xでは、いつも誰かが何かに反応している。
最近では、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの地上侵攻をめぐって、中東政治などの専門家の投稿が「燃え」ているから、とりたてて「医クラ」に限らないのかもしれない。
しかし、この3年間、「医クラ」が、SNSをにぎわせ、人々に与えた影響の大きさは、計り知れない。新型コロナウイルス感染症をめぐる「医クラ」の発信は、決して無視できなかったからである。
■医師たちは「気の緩み」を連呼した
人類学者の磯野真穂氏は、2020年1月1日から2023年8月15日までの間に、朝日新聞のデータベース上で「気の緩み」という言葉が登場する記事を調べている(*3)。
磯野氏の関心は、「気」という言葉の使われ方であり、それがもたらす力についてであり、その点については、彼女の記事をご覧いただこう。
160件におよぶ「気の緩み」が含まれる記事の中で、最も多い4割を占める政府・自治体関係者に次ぐ2割弱が医師などの専門家、すなわち「医クラ」によるところである。
磯野氏は、次の2つの発言を取り上げている。
「私は感染拡大の根底にあるのは気の緩みで、ウィズコロナという表現が適当ではなかったと感じる」(2020年11月27日、朝日新聞大阪本社版に掲載された医師の発言)。
次が、昭和大学病院の相良博典院長が「感染対策に気の緩みが生まれることを懸念する」という記述(2021年9月29日朝日新聞)である。
■専門家の「非科学的」な論理構造
磯野氏は、同じ感染症の拡大であっても、例えばインフルエンザのような「さまざまな感染症が拡大するたびに、その原因が『気の緩み』に求められてきたわけではない」と指摘している。
私も磯野氏に、まったく同意するのだが、それ以上に、「医クラ」の人たちの論理構造を疑う。
彼らが、「専門家」として、常に「科学」を盾にしているからである。
「科学」を崇拝する「専門家」であるならば、「気の緩み」を、逆に「非科学的」だとして退けなければならないのではないか。
「気の緩み」など、何も「科学」的な根拠のない、素人の戯言だと、一刀両断しなければならないのではなかったか。
それどころか、磯野氏の記事にあるように、「医クラ」が、さんざん「気の緩み」を掲げていた、そこを疑わないわけにはいかないのである。
■医師は「世間知らず」なのか?
こうした論理矛盾をきたしているのは、「医クラは世間知らずだから」、そう片付けられるのかもしれない。
たしかに、医者になるためには、ある程度は、「世間知らず」にならざるを得ない。
医学部に入るためには、飛び抜けて受験勉強ができなければならないし、入学後も膨大な必修科目を落としてはならず、医師国家試験に合格せねばならない。
アルバイトや部活動に精を出すとはいっても、いわゆる「普通」の学生生活は送れない。医学部だけの部活動があるのは、その象徴である。
いや、それだけではない。
私立大学で学ぶためには、どこも軒並み、超高額な学費を支払う必要があるから、奨学金だけでは賄えず、両親をはじめとする家族が「裕福」である場合がほとんどだろう。
金持ちのボンボンが、大学受験だけではなく、学生になってからも試験勉強に集中し、医者になる人たちだけに囲まれる。
いざ医師になれば、死ぬまで絶えず「先生」と呼ばれ続ける。
なるほど、こうした人たちを「世間知らず」と言わずして、誰をそう呼べば良いのだろう?
■キャリア官僚が受けたバッシング
「世間知らず」というだけなら、私のような学者もまた、負けず劣らずだし、1990年代に官僚が強くバッシングされたころは、東京大学法学部出身の国家公務員試験合格者=キャリア組もまた、そう名付けられていた。
旧・大蔵省に入った若手が、30歳そこそこで、各地方の税務署長として赴任するのは「世間知らず」になるのを助長する、そんな論調が支持を得ていた。
「バカ殿」などと陰口を叩かれていた人も多く、キャリア組の不祥事が続出した1995年以降は、「原則として税務署長に出すのは35歳以後」と方針を転換している(*4)。
この転換でキャリア組の「世間知らず」が減ったのかどうか。
少なくとも、ここ最近ではキャリア組に対して、そうした批判が少なくなっているのは確かである。
ではやはり、「医クラ」は、単なる「世間知らず」なだけだから、純粋培養を防ぐために、さまざまな社会経験を積ませれば良いのだろうか。
■「世間知らず」では片付けられない
問題はそう単純なものではないだろう。「医クラ」が「気の緩み」を連発してきたのは、「世間知らず」にとどまらない、全能感に由来するのではないか。
それは、命を預かっている責任感や緊張感、使命感と表裏一体と言えよう。
「医クラ」の助けを借りなければ、いまの日本では、ほとんどの人たちが出産もできないし、また、死亡宣告は医師が行わなければならない。
人間が生まれるときと死ぬとき、という2つの最も重要な場面で、医者がいなければならない、そんな社会に私たちは生きている。
日本で働く多くの「医クラ」は、SNSでの発信などせず、淡々と黙々と、朝から晩まで、目の前の患者さんに向き合っている。
こうした事実がまた、「医クラ」の全能感を増大させ、医療の「素人」たる多くの人たちを見下すことにつながり、「気の緩み」との決めゼリフによって非難させるのではないか。
「世間知らず」だけであるなら、彼らと社会との接点を増やしたり、あるいは、「バカ殿」などと揶揄されない仕組みを作ったりすれば、デメリットは減っていくだろう。
けれども、問題は、より根深い。
■「医クラ」に依存するマスメディア
「医クラ」の全能感を支えるような発言が、インターネット上だけではなく、新聞やテレビ、ラジオ、雑誌といったマスメディア上で、四六時中流されているからである。
「この症状は、どうすれば?」「この病気を克服するには?」
そうした記事が、あらゆるところで幅をきかせている以上、単に生殺与奪を握られているといった恐怖心にとどまらず、さらに根っこのところで、メディアが「医クラ」に依存している。
それほどまでに、日本に生きる人たちの医療や健康への関心が高いから、世界の歴史上、稀に見る長寿社会なのかもしれない。
ただし、冒頭で触れた宇佐美氏の問題提起のように、「システムとして延命治療したほうが経済的に得なシステムがあるから制度設計を見直せ」という議論(*5)は、ここまで医療コンシャス、健康コンシャスなメディアでは主流にならないだろう。
だからこそ、「世間知らず」では済まされない、もっと根本から日本社会を考えるべき問題を含んでいるのである。
(*1)「『国民皆保険制度なくなってほしい』投稿が物議 日本人は延命治療し過ぎ?」ABEMA Prime、2023年11月17日放送
(*2)RM X 帝国@現役世代の強い味方、最終更新 午前1:20・2023年11月19日
(*3)磯野真穂「『気の緩み』、言ったのは誰? 記事160本、人類学者が分析したら」朝日新聞デジタル、2023年10月27日17時00分配信
(*4)落合博実「国家公務員キャリアシステムについて」『立法と調査』、2008年11月号別冊
(*5)宇佐美典也(本物)、午後7:14・2023年11月19日
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-2675861/