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■ふたたび被爆者をつくらない
日本被団協・箕牧智之代表委員
「考えてみれば、原発が落ちて約10年後に日本被団協。ビキニの実験で核兵器に放射能があることを知らされた。それまで、アメリカは言わなかった」
1954年、ビキニ水爆実験による『第五福竜丸』の被災をきっかけに、被爆者たちは立ち上がることを決めました。
原爆被害に対する補償はなく、被爆者への偏見も横行していた時代。二度と悲劇を繰り返さない。「自らの体験を通して人類の危機を救う」との思いで、「原水爆の禁止」を訴え続けてきました。
■“日本被団協”68年の歩み
日本被団協の設立から68年。草の根運動を続け、被爆者が生き抜いた“地獄”を伝え続けてきました。
国連の核軍縮会議には、代表団をたびたび派遣。『被爆者』という言葉を、世界に定着させます。核保有国へ、直接、申し入れることもありました。
当時20歳で被爆した代表の坪井直さん。
日本被団協・坪井直代表委員(当時)
「人間が作ったものなら、我々が核兵器をなくすような力を発揮しないと。ネバーギブアップで頑張っていきますので」
その活動は、世界の首脳の気持ちを突き動かします。
2016年、原爆を投下した国の大統領が、初めて広島を訪れることになります。
日本被団協・坪井直代表委員(当時)
「(オバマ大統領が)資料館を見るって、15分、見るだけね。そんなんでね、原爆のね、被害を判断されちゃ困る。これからが大事なんですよと」
坪井さんは、2021年、96歳で亡くなるまで、非核化を訴え続けました。
思いは、引き継がれます。
核兵器の開発や保有などを法的に禁止する核兵器禁止条約の交渉会議では、約300万人分の署名を集め、採択を後押ししました。世界で紛争が続くなかでも、悲劇を繰り返さないため、訴えを続けています。
■戦い続けてきた父に受賞を報告
日本被団協・木戸季市事務局長
「核戦争の危機が高まっています。ウクライナとガザから伝えられる光景は、被爆者にとって“あの日”の再来です。核戦争が起これば、何もなくなった真っ黒の街、死体の山、死の世界が残るだけです。絶滅だけを目的にした狂気の兵器です。人間として認めることのできない絶対悪の兵器です。原爆投下によって、世界は一変しました。原爆が人間を滅ぼすか。原爆をなくし、人間が生き残るかの分かれ目です」
ただ、日本はいまだオブザーバーとしても参加していません。
日本被団協・箕牧智之代表委員
「(Q.来年3月は日本政府にどういうふうに立ち振る舞ってほしい)やっぱり最低でも、オブザーバー参加を」
坪井さんの息子・健太さんは、戦い続けてきた父に受賞を報告しました。
坪井さんの息子・健太さん
「父が頑張ってくれたおかげかなと思っているので。亡くなってはいますけど、向こうで聞いてくれているかなと思って。『広島・長崎だけが被爆したんじゃない』といつも言っていて、色んな実験場にも被爆者はいるし、どうあっても『核をなくしたい』と、ずっと言い続けていました。近年、ちょっと怪しい雰囲気になってきているので、世界的に。そこは父が生きていたら、恐らく、心配というか、つらい思いをしたと思う。最後の目的は、核がなくなることだと思っていますけども、まずは削減」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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