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■漫画家・芦原妃名子氏の死でテレビ業界は変わるのか
漫画『セクシー田中さん』の作者・芦原妃名子氏の死は、テレビ業界を変えようとしている。いや、変えなければおかしい。原作者死亡という最悪の事態が起こって初めて、これまではあいまいなまま常態化し、いわば「なぁなぁ」でやってきた漫画原作ドラマの制作過程における諸問題が、きちんとした文書で白日の下にさらされた。
2024年1月29日、漫画『セクシー田中さん』(小学館)の作者である芦原妃名子さんが死去。前年10月から12月にかけて放送された連続ドラマ版「セクシー田中さん」(日本テレビ)の制作過程において、芦原さん側と制作スタッフの間でトラブルがあったことがその一因とされ、5月31日に日本テレビは「社内特別調査チーム」による調査報告書を公表。続けて6月3日に、原作の版元である小学館が「特別調査委員会」による調査報告書を公開したのだ。
■報告書を読み解く3つのポイント
日本テレビ、小学館とも、それぞれ90ページ前後にもわたる報告書で、もちろん調査は合同ではなくそれぞれ独自に、弁護士を交えて行われた。そこには、テレビ、出版のみならず、エンターテインメント業界に携わる人間なら読んでおくべき教訓と提言が満載なのだが、業界の構造的な問題についてはいったん置いておいて、まずビジネス上発生した「人間関係のもつれ」として読み解いてみた。出版社側のスタッフとしてテレビドラマの現場を取材している筆者が着目したポイントは、以下の3つだ。
・結局は「言った、言わない」、日本テレビと小学館の水掛け論
・漫画家と脚本家、女性クリエイター同士の確執に読めてしまう悲しさ
・この悲劇には第一幕と第二幕があり、第二幕がなければ最悪の顚末(てんまつ)にはならなかった■結局は「言った、言わない」、日本テレビと小学館の水掛け論
両社の報告書で多くのページを割かれているのは、日本テレビが小学館にオファーする形で漫画のドラマ化が決定し、両社がコンタクトを取り始めるところから、揉めに揉めた制作プロセスを経て、第9話、第10話(最終回)では脚本家が降板(事実上更迭)、原作者みずから台本を書くという異例の事態となり、それでもなんとか最終回放送にこぎつけたところまでの経緯である。
まず、原作者とその代理人として日本テレビとの交渉に当たった小学館の編集者は、「原作に忠実に」ドラマを作るように求めたが、詳細な契約書は交わしておらず、どこまでが「忠実」で、どこまでが原作者にとっては受け入れられない「改変」に当たるのか、両者は最初からコンセンサスが取れていなかった。日本テレビの報告書には、ドラマ化決定時の打ち合わせ(2023年3月9日)の記録として、こうある(※は筆者註)。
なお、当調査チームへのC氏(※小学館編集者)からの書面回答によると、本件原作者(※芦原氏)は、過去作では製作(原文ママ)途中で「やっぱりやめたい」と言い出したこと、小学館からはドラマ化するならば原作を大事にしてくれる脚本家の方でないと難しいことを伝えたと述べているが、(※日本テレビのプロデューサー)A氏、B氏はこの時点では条件や注意事項として聞いた記憶がないと述べている。その後の振り返りにもこう記してある。
芦原氏が、ドラマ放送終了後、2024年1月26日にブログに書いたように「必ず漫画に忠実に」「漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する」という条件は小学館からは口頭あるいは文書で提示されていなかった。■互いの条件を明文化しないまま、やりとりが進んだ
小学館と芦原氏は「ドラマ制作上やむをえないこと以外は、原作から変えない」と思っており、日本テレビと脚本家は「ある程度アレンジしなければドラマとして成立しない」と思っていた。そんなお互いの条件をクリアに明文化しないまま、台本の準備稿のやり取りをしていたので信頼関係が築けず、1話ごとの決定稿に至るまでに、意訳すると「原作に忠実に直せ」「直せない」「直せないなら原作を引き上げる」「やはり直す」という不毛な交渉が何度も繰り返されている。
Eメールなどデータとして残っているやりとりも記されているが、トラブルになってしまった原因は、結局のところ「言った、言わない」に尽きる。記録に残らない電話や対面、オンライン会議でのやりとりも多かった。
芦原氏は脚本家とは一度も直接話してはいない。それは芦原氏の「脚本家と会ってしまうと、言いたいことが言えなくなる」という判断からだったようだ。これには日本テレビの報告書にも、他の脚本家やプロデューサーから「会って信頼関係を築いたほうがいい」という意見が複数寄せられており、賛否が分かれるところだ。
■漫画家と脚本家、女性クリエイター同士の確執に読めてしまう
その結果、芦原氏は脚本家への不信感を募らせていった。脚本家はこれまで「ミステリと言う勿れ」などの漫画原作、小説原作ドラマを手がけてきたが、それが脚本家発信のアイデアかどうかは不明ながら、同作でも男性キャラクターが女性になるなど、原作を変えた点があり、原作をアレンジしてもOK、つまり「改変が当然であると考えているテレビ局のプロデューサーもいる」(小学館報告書)という環境で仕事をしてきた。つまり、小学館の報告書でさえ「原作の世界観の共有を強く求める」「難しい作家」と表現される芦原氏との相性は最悪だった。
日本テレビから小学館に送った台本は、撮影上の諸事情を汲んでアレンジしたものであり、脚本家ひとりの構想のみで作り上げられたものではない。そのことは日本テレビから小学館、そして芦原氏にも念押しされたようだが、芦原氏は、原作から変えたり付け加えたりしたセリフや、誰と誰が会って何をするというようなエピソードの順番の入れ替えから、「脚本家は原作の世界観を十分に理解していない」「むしろ悪いほう(レベルが低い内容)に変えている」と判断したようだ。「(この変更したセリフは)普通に感じ悪いなと思ってしまう」などの率直なダメ出しが、日本テレビに伝えられるようになった。
■こじれてしまった2人の関係
小学館と日本テレビの間ではこんなメッセージがやり取りされている。
「原作者(※芦原氏)の指摘は(※小学館編集者)C氏が言葉遣いを柔らかくしたものであっても、本件脚本家にとっては厳しい口調であってそのまま読むのはつらくなった」
「原作者が本件脚本家の書くものが耐え難い、別途Huluで配信予定だったスピンオフ作品も取りやめると言い出している」(以上、日本テレビ報告書より)
芦原氏より「●●さん(※脚本家)のオリジナルが少しでも入るなら、そもそも私は9、10話に永遠にオッケー出さないです。●●さん(※脚本家)の度重なるアレンジで、もう何時間も何時間も修正に費やしてきて、限界はとっくの昔に超えていました」(小学館報告書より)完全に関係がこじれてしまっている。女性の生き方、生きづらさを描く物語を女性漫画家が生み出し、それを女性脚本家がドラマ化したのだが、結果的に、女性同士のバトルになってしまった。
■第二幕がなければ最悪の顚末にはならなかった
舞台裏は、このように大揉めの状態だったが、最終回は無事に予定通り放送され、全10話でドラマは完結した。この「セクシー田中さん」事件をざっくりとしか知らない人が誤解しがちなポイントがある。それは完成したドラマは原作をおかしな方向に変えたものではなく、芦原氏が求めたとおり原作に忠実で、漫画のファンにとっても芦原氏にとっても満足のいく内容になった、ということだ。小学館の報告書にも「結果的に社員Aは、芦原氏の納得するドラマ制作を果たした」と記されている。
小学館と日本テレビの両陣営も胸をなで下ろしたようだ。プロデューサーも編集者もかなり疲弊していたようだが、ここで、終わり良ければ全て良しと幕引きにすることもできた。しかし、最終回放送の数日後、脚本家が自身のInstagramに、最終2話の脚本から降ろされたことを不服とするコメントをアップし、悲劇の第二幕が始まってしまう。
■脚本家へのバッシングが始まった
それに対する「アンサー」(小学館報告書)という文章を芦原氏がブログとX(旧Twitter)にアップし、それを見たSNSユーザーが脚本家を原作改変の戦犯としてバッシングした。小学館の「多くの炎上を経験した」ことがある関係者は「たいへんなことになった」と思ったという(小学館報告書)。
「アンサー」には脚本家への批判は書かなかっただけに、その事態にショックを受けた芦原氏が投稿を削除し、その後、死体で発見されるに至ったというのは、報道されてきたとおりだ。
いったい何が死のトリガーだったのかは、芦原氏本人しかわからない、いや本人にも、急性ストレス障害のような状態になり、認識できていなかったのかもしれない。小学館の編集者たちも、直前までオンラインミーティングなどでコンタクトを取って問題を共有しており、まさかそこから芦原氏が極端な選択をするとは思っていなかったようだ。
ただ、芦原氏がXの最後の投稿に記した「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」(2024年1月28日)というメッセージには、考えさせられるものがある。
■属性が違う女性同士の友情が描かれる物語
「セクシー田中さん」は、同じ会社に勤めてはいるが、年齢も外見もモテ度も真逆の女性2人、田中さんと朱里が友情を結び助け合っていくシスターフッドの物語である。
田中さんには他人とのコミュニケーションがうまくできず、アラフォーになるまで友達も恋人もいない人生を送ってきたという後ろ向きの面があった。23歳の朱里はかわいらしい外見で男性からモテまくってきたが、家庭の経済的事情から短大に進み、就活もうまくいかずに派遣社員で給料が低く、安定を求めて婚活に走っていた。そんな朱里が、自分の殻を突き破ってベリーダンスを踊っている田中さんを見かけて強くあこがれ、そこから属性を超えた友情が育まれる。
そんな物語をディテールまでこだわり抜いて描いていた芦原氏にとって、同じ女性であり同じクリエイターである脚本家へのバッシングを引き起こし、間接的に「攻撃する」形になったのは、自分のモットーに反し、生き方の根幹に関わることだったのではないだろうか。その絶望は、周囲の人が想像するよりもずっと深かったのかもしれない。「ごめんなさい。」と最後に謝っていることに、芦原氏の誠実な、誠実すぎるほどの思いを感じる。
■小学館も日テレもクリエイターを守り切れなかった
そして、ドラマ制作中、小学館は原作者を、日本テレビは脚本家を守っていたのに、結果的には守り切れなかった。脚本家は、芦原氏が「アンサー」を公表するまで原作からの改変なしの要望がそれほど強かったとは認識していなかったと説明しており、受けたダメージも相当大きいと推察される。日本テレビが、ちゃんとそのケアをしているかも心配だ。
どうして守り切れなかったのかという原因については、テレビ業界の構造的な問題と、出版社も含めたヒットを求める利益優先の論理が作用したことが報告書から読み取れる。それについては、また機会があったら書いてみたい。
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村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
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(ライター 村瀬 まりも)
]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-3104500/