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■80年代 アラレちゃん旋風
メガネがトレードマークだった、鳥山明さん。
黒柳徹子さん
「アラレちゃんが眼鏡をかけたエピソードも面白いわね」
鳥山明さん(当時28歳)
「ロボットも眼鏡をかけているのもバカバカしいと思ったし。僕、女の子を描くとみんな同じ顔になっちゃいますから、特徴づけるように眼鏡つけて。自分が眼鏡かけてて恥ずかしかったけど、割と平気になったという手紙をもらった時はうれしかった」
黒柳徹子さん
「芸能人、若い歌手がみんな大きな眼鏡をかけていると『アラレちゃんみたい』って。もうお取りになれないわけね」
鳥山明さん(当時28歳)
「そうですね。特徴のひとつになってますから」
“漫画を読むとバカになる”そんな風にも言われていた1980年代。しかし、鳥山明さんの描くアラレちゃんは、またたく間に日本社会を駆け抜けていきました。
50代会社員
「なんか恥ずかしいんですけど『んちゃ』とかですね。アラレちゃんに出てくる独特の決めセリフがあって、学校で流行ってましたね。ウンチをつついてツンツンとか、下ネタとかもありまして。(Q.学校の同級生で)流行ってましたね」
明林堂書店 熊野賢一郎さん
「絵がダントツに綺麗。全部が完成されたイラストみたいな世界観ですよね」
■“かめはめ波”毎週わくわく
ただ、外せないのはやはり、1984年に連載が開始され、2年後にはアニメも始まった『ドラゴンボール』。最初は7つ集めると願いが叶うボールを集める冒険物語で、気付いたら地球を救うヒーロー物になるという展開になり、当時の子どもたちの心をわしづかみしました。
25歳会社員
「(Q.ドラゴンボールのアイテムとかで欲しいものは)『仙豆』ですかね、やっぱり。仕事で疲れた後に飲みたい」
富士見湯 尾形亮太郎店長(40)
「『かめはめ波』や『太陽拳』とか『魔貫光殺砲』とか、頑張れば打てるんじゃないかって気持ちがいまだにする。(Q.ドラゴンボールはどんな存在)難しいこと聞きますね。いい意味で空気みたいに、あって当たり前の存在。ない世界が思い浮かべられない」
週刊少年ジャンプは今でも発行部数が100万部を超えています。名実共に日本の少年マンガの頂点と言っても過言ではなく、一翼を担ってきたのはドラゴンボールでした。
富士見湯 尾形亮太郎店長(40)
「作品ジャンプを早く読めるのは一種ステータス。ちょっと早く読んだやつがネタばれしたりするんです。当時、悟空がスーパーサイヤ人になるのを知らなくて、先に読んだやつが学校でしゃべってて、ネタばれ食らったって思った記憶はあります」
■「役目は娯楽に徹すること」
少年ジャンプのテーマは『友情・努力・勝利』ですが、まさにそれを体現したのもドラゴンボールです。ただ、本人が何を意識していたのかというと…。
鳥山明さん(2013年朝日新聞インタビュー)
「僕の漫画の役目は娯楽に徹することだと思っています。ひと時楽しい時間を過ごしてもらえれば、何も残らなくてもいいとさえ思っていますので、意識してメッセージを伝えようなどと思って描いたことはありません。よく勘違いされるのですが、健全な内容も苦手なのです。一見、健全そうに見えるかもしれませんが、実は毒が入っていたりします」
鳥山明さんは、とにかく絵を描くことが好きでした。
黒柳徹子さん
「絵は好きだった?」
鳥山明さん(当時28歳)
「絵は一応好きでした。それしか取りえがなかったというか」
黒柳徹子さん
「小さい時から絵は描いていた?」
鳥山明さん(当時28歳)
「普通の人よりちょっとたくさん描くという程度ですけど、教科書なんかはいたずら描きでいっぱいでした」
■枠を超えた影響「時代作った」
鳥山明さんのイラストの特徴は「天才的なデフォルメ」とも言われますが、その枠はマンガ・アニメを超えています。ゲーム『ドラゴンクエスト』では、今でもキャラクターデザインを鳥山明さんが担っていて、その存在抜きにこのゲームを語ることはできません。
スクウェア・エニックス『ドラゴンクエスト』チーム
「スライムをはじめとする、魔物でありながらどこか愛らしいモンスターたちは『ドラゴンクエスト』の世界に温かみを与えてくださいました。キャラクターや世界観は今後の『ドラゴンクエスト』でも息づいてまいります」
また、メディアミックスを積極的に仕掛け、世界市場で勝負するさきがけもドラゴンボールでした。その影響は計り知れないものがあります。漫画『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎さんは…。
尾田栄一郎さんのコメント
「漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り、大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり、漫画ってこんな事もできるんだ、世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように」
■「ただひたすら楽しんでもらおうと…」
鳥山明さんは生前「日本の漫画の強みはどこにあるのか」という質問に、このように答えていました。
鳥山明さん(2013年朝日新聞インタビュー)
「漫画はコネや大金をつぎ込んでも通用しない実力だけの勝負の世界です。その選ばれた作品が世界にも楽しんでもらっているのは、ある意味当たり前なのかもしれません。世界を意識するわけでもなく、大金をもうけようとするわけでもなく、ただひたすら楽しんでもらおうと思って、睡眠時間も削り、懸命に創りあげている。その作家たちの純粋さがいいのではないでしょうか」
■海外ファンにも広がる衝撃
その偉業を称える声や、早すぎる死を悼む声が世界中から寄せられています。
アメリカ人観光客(東京・秋葉原)
「本当?」「いつ?きょう?」「(Q.1日に亡くなり、8日に公表されました)マジか…」「最悪じゃないですか。私たちの世代にはレジェンドです。コミック店で働いているんですが『ドラゴンボール』は今でも最も人気のある作品の1つです。最悪だ」
中国のSNSでは、検索ランキングでトップに立っていて『アラレちゃん』の文字もランクインしてきています。
韓国のファン
「私の昔の…楽しませてもらったのに…」「心が痛いです。青春時代をともにした漫画でしたから」
アメリカでは、バイデン大統領が一般教書演説を行っている最中に一報が。その時のヤフーのトレンドランキングでは、鳥山明さん死去のニュースが、1位のバイデン大統領に迫る勢いでした。
■『アニメ』日本文化として定着
いまや日本の文化として完全に定着した、ジャパニーズアニメーション。その礎を築いたのは、鳥山明さんが世界に送り出した“MANGA”に他なりません。
ドラゴンボールのコミックは世界80カ国以上で発売されています。日本も含めた累計発行部数は2億6000万部超え。その40%近くを海外が占めています。アニメも世界中で放映され、アメリカでは放送局の最高視聴率記録を塗り替えたほどです。ゆえに、世界中に熱狂的ファンがいます。
タイのドラゴンボールファン ブーンラート・クラハーンさん
「とても悲しいです。鳥山さんは私をとても幸せにしてくれた方でした」
中国のグッズショップオーナー 馬俊傑さん(34)
「自分が大きくなって物語に対する自分の理解度も増し“無限の可能性がある”ということに気づきました。悟空のおかげで自分も仕事でいつもチャレンジできています。ドラゴンボールのおかげで自分も強くなれました。ありがとう」
人生初のアニメがドラゴンボール アメリカからの観光客(東京・秋葉原)
「孫悟空はいつも勝つわけじゃなくて、負けてもそれを受け入れて、もっと鍛錬して戦いに戻ってくるところが好きです。決して諦めません。私はとても孤独な時期があって諦めかけていて、ある日観直した『ドラゴンボール』が私を引き戻してくれました。キャラクターたちの前向きさがモチベーションを与えてくれました。“人生に前向きさを届ける人”鳥山さんをそう記憶してほしいです。もう泣きそう」
■一時“放送休止”も文化勲章
日本に次ぐ世界第2位の漫画市場、フランス。ドラゴンボール人気もすさまじいのですが、実は意外な過去があります。当時、フランスではアニメ『ドラゴンボール』の戦闘シーンが暴力的だという世論が高まっていました。そういうシーンをカットしつつ、放送を続けていましたが、1996年に放送は中止となってしまいました。
しかし、その後も漫画によって、ドラゴンボール熱が着々と育まれたといいます。
パリの男性
「『ドラゴンボール』がなかったら、他の漫画も追随しなかったでしょう。『ONE PIECE』をフランスで知ることもなかった」
パリのグッズショップ店員
「『ドラゴンボール』に出会っていなかったら、漫画も読まないし、この仕事もしていませんでした。(Q.ひとつの時代の終わり)終わりではなく、移行でしょう。多くの漫画家が鳥山氏の“灯”を受け継ぐでしょう」
5年前にはフランス政府から芸術文化勲章を授与された鳥山明さん。訃報を受け、フランス大使館が異例のコメントを発表しています。
フランス大使館のX
「鳥山氏の創造性に溢れた作風、物語の展開の妙、そして比類なきデザインの芸術により、フランスにおける第九芸術の普及に大きく貢献しました。鳥山先生の作品を愛する世界のすべてのファンの皆さんと悲しみを分かち合います」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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