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「秘められた世界の魅力」が通用しない世の中になった…宝塚歌劇団が抱える「隠蔽体質」の根本原因|ニフティニュース


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宝塚歌劇団に所属する25歳の劇団員が死亡した問題をめぐり、歌劇団に対する批判が集まっている。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「宝塚の秘密主義的な側面は、どこか謎めいた神秘さとして人々を魅了してきた。しかし、透明性が求められる時代において、秘められた世界の『慣習』は通用しなくなった」という――。■日常の延長線上にある非日常の象徴

「阪急で行きましょう。」

阪急電鉄が車内広告などで使っているキャッチコピーである。

そのポスターでは、宝塚歌劇団花組107期の娘役・七彩(なないろ)はづきさんがオレンジ色の衣装に身を包み、紅葉に囲まれて佇んでいる(*1)。

「錦織りなす、景色のなかへ。」という、秋の宣伝文句も相まって、いかにも優雅で、ゆったりとした雰囲気を醸し出している。

関西在住者や、かつて住んでいた人たちにとって、阪急とは、日常の延長線上にある非日常の象徴である。

1910年の開業当時から統一されている「マルーンカラー(茶色系統)」や、ゆったりとした座席が、通勤や通学だけではなく、ちょっとした観光へと誘うからである。

近畿地方に縁がない、たとえば関東圏の人たちにとっては、東急と似たものを感じるかもしれない。

政治学者の原武史氏は、「東急と阪急はしばしば、よく似た私鉄であるといわれる」として、次のように述べている。

どちらも垢抜けていて、乗客の品がよく、沿線には高級住宅地が多い、といったイメージである。そのイメージ自体は間違ってはいない。しかし両者は、そもそもまったく異なる経営思想に基づいており、したがって鉄道会社としてのありようは大いに異なっていたし、今もなお異なっている。(*2)この「異なっている」ところが、関西の外には伝わりにくい。

なかでも最も難しいのが、阪急と宝塚歌劇団の関係なのではないか。

■「乗客がいなければ、乗客をつくりだせばよい」

阪急の前身・箕面有馬(みのおありま)電気鉄道は、1910年に開業している。創業者の小林一三(いちぞう)(1873〜1957)は、山梨県生まれで慶應義塾を卒業しており、大阪とのつながりができたのは、三井銀行に就職し、大阪支店に勤めるようになってからだった。

阪急が先に述べたイメージを作り出せたのは、小林が、関西の外から来た人間だったからである。

原氏が注目している通り、小林は「乗客がいなければ、乗客をつくりだせばよい(*3)」との発想に基づいて、「畠や田圃しかないような田舎(*4)」だった宝塚までの沿線に、郊外型の住宅を作り、通勤客を生み出していく。

こうした戦略に加えて、大阪梅田に向かう乗客だけではなく、宝塚を目的地とする客を作ろうとする。

そのために、大阪北部の箕面に1910年に動物園を、翌11年に宝塚に宝塚新温泉を、そして、現在の宝塚歌劇団の元になった宝塚唱歌隊を1913年7月に組織し、第1期生16人を採用するのである。

■阪急と一体となって、沿線のイメージを高め続けてきた

その6年後、1919年に宝塚音楽歌劇学校を創立し、小林自身が校長に就く。

しかし、「清く、正しく、美しく」をモットーとする宝塚歌劇は、小林のオリジナルではない。

原氏の指摘のように、三越百貨店で結成された少年音楽隊をヒントにしていたのだ(*5)。一方、少女だけで始まった点こそ、「出演者が女性だけで構成される世界でも珍しい劇団(*6)」と称する、今に引き継がれる独自性にほかならない。

宝塚歌劇団は、関西が世界に誇る輝かしい存在であり、普段づかいの電車で少し足を伸ばせば手の届く、華やかな夢の舞台なのである。

宝塚は、阪急と一体となって、沿線のイメージを高め続けてきた。

■「隠す姿勢」に価値があり、意味があった

ところが、『週刊文春』が報じた「いじめ疑惑」を皮切りに、宝塚歌劇団が存亡の危機に瀕している。

労務管理や、親会社の阪急阪神ホールディングスとの関係、といったガバナンスの問題にとどまらない。ここまで述べてきた、近畿地方を代表する「阪急文化圏」そのものが崩れかねない。

「タカラジェンヌ」という呼び方に表れているように、宝塚歌劇団は、高貴さや気品だけではなく、どこか謎めいた、神秘さも示してきた。

女だけの世界、という意味ではない。背景には、宝塚内部のことを絶対に口外してはならない、とされる徹底した秘密主義がある。

そのため、ファンをはじめとする外部の人間は、退団した人たちによって語られる断片を通して、想像をたくましくするしかない。一方、秘められている部分は、100年以上にわたって魅力になってきたのである。

誰が、どんな風に教育され、どうやってレッスンを受けて、舞台に上がるのか。

世阿弥の名言「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」のように、隠す姿勢そのものに価値があり、意味がある。そうした態度を、宝塚歌劇団も宝塚音楽学校も、貫いてきたのではないか。

ここが窮地に追い込まれている。

秘められた世界は、現代の日本では「ブラックボックス」として批判されるしかないからである。

外から隠す、それによって魅惑してきた組織が、今年立て続けに炎上しているのは偶然ではないし、宝塚というシステム全体が丸ごと槍玉に挙がっているのではないか。

■ジャニーズ、歌舞伎、そして宝塚…

2023年は、ジャニーズ事務所、歌舞伎、そして宝塚、頭文字をとって「JKT」と呼ばれる、いずれも慣習を重んじる芸能の世界が社会問題となった。

透明性が求められる時代にあって、しきたりをはじめとする慣習に治外法権は許されなくなった。

芸能界以外でも、批判がタブーと言われていた電通は、過労自殺をきっかけにブラック企業の代表とみなされるようになった。また、彼らが主導してきた東京オリンピック・パラリンピックに対しては、「汚職まみれの忌まわしいイベント」ととらえる向きすらある。

関西の外では、宝塚をめぐる問題は、ひとつの芸能組織の問題に過ぎないように見えるかもしれない。

けれども、2023年に続出した「JKT」、3つの集団に関する問題は、決して芸能に携わる人たちが特殊だから、では済まされない。

私たちの社会が、コンプライアンスや説明責任を、ありとあらゆる方向に求めるようになった、その結果なのである。

■「阪急文化圏」の功と罪を考え直すべき

もちろん、それは正しい。正しすぎるほどに正しいし、被害者がいる以上、誰も異論を唱えられない。被害に遭った方たちを少しでも早く、適切に救わねばならないし、二度と同じような事態を招いてはならない。

宝塚歌劇団や宝塚音楽学校は、大切な文化ゆえに甘く見るべきだ、などと主張したいわけではない。

十把一絡げにするのではなく、関西と関東の違い、男性と女性の別、といった、これまで常識だと思われてきた、さまざまな感覚の差を、ひとつひとつ丁寧に見つめなければならないのではないか。

宝塚なんて時代遅れだ、と論難するのは、たやすい。

それよりも、宝塚歌劇団がどういう経緯と歴史を経て、今の窮状に至ったのか、それを考えなければならない。

「阪急文化圏」を闇雲に崩すのではなく、どのような「文化」なのか、その功と罪を考え直す。それこそが、被害者のためにも、現在の団員のためにも、そして、その文化圏を愛する人たちのために、阪急が取り組まねばならない、はじめの一歩だろう。

(*1)「阪急電鉄株式会社」公式ウェブサイト
(*2)原武史「西の阪急、東の東急」『NHK知る楽 探究 この世界 鉄道から見える日本』NHK出版、2009年、71〜72ページ。
(*3)原、前掲、74ページ。
(*4)原、前掲、74ページ。
(*5)原武史『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』講談社選書メチエ、1998年、99ページ。
(*6)「宝塚歌劇初心者ガイド」「宝塚歌劇」公式ウェブサイト

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-2683678/

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