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“戦力外”の元プロ野球選手の1年後。“本職”の清掃業で「過去を超えたい」と思えるようになるまで|ニフティニュース


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「ここ1年間、とくに半年ぐらいはプロ野球選手引退後の“厳しさ”みたいなものをぜんぶ味わったんじゃないですかね。ただ、いろいろあったおかげで“今”があるので」
 作業服に身を包んだ滝野要さん(27歳)が、すがすがしい表情で言う。昨年10月4日、プロ野球「中日ドラゴンズ」から戦力外通告を受け、その当日の様子をYouTubeで配信したことが話題を呼んだ。

 あれから約1年の月日が流れ、滝野さんは今年10月23日に『戦力外から1年。元プロ野球選手の現在の本職について』という動画を公開、どうやら大きな変化があったらしい。そこで今回は、詳しい話を本人に聞いた。

◆“戦力外通告を受けた日”をYouTubeで配信

 昨年、戦力外通告からそのままYouTubeを始めた真意について、滝野さんは「批判も覚悟の上だった」と振り返る。

「金曜に電話があって、週明けの月曜に球団事務所に来てくれということで。クビになることは、あらかじめ察していたんですよね。少し考える時間があるなかで、さすがにセカンドキャリアを決めるまでには至らなかったんですが、なにかしらアピールをしたほうが次につながるのかなって。

 もちろん、めっちゃ勇気がいりましたよ。SNSのアカウントを持っているだけでもアンチコメントがくるのに、YouTubeの動画なんていちばん炎上リスクが高いじゃないですか。それでも自分を出していき、全国の人たちに知ってもらいたいと思ったので」

 動画では、球団事務所に向かう様子から記者会見後まで、“運命の1日”がありのままに映されていた。さらに自律神経の病気を抱えながら選手生活を送っていたことを公表した。

「プロに入った当初の23歳頃から症状があったんですよね。ずっと隠しながらプレーしてきた。ようやく人に相談できたのが去年、つまり辞めた年なんです。同じ病気の川崎宗則さんと人づてにつながって、自主トレとかも一緒にやらせてもらって、考え方とかも学ばせてもらって。前までは“治したい”と思っていたんですが、自分の特徴としてうまく“付き合っていく”というふうに変わっていきました。そのおかげで、今は日常生活には支障がないように体調管理ができるようになっています。

 僕が病気を公表することで、世の中で同じように苦しんでいる人を少しでも勇気づけられたらいいなって。まあ、YouTubeをやるなんて自律神経によくないとも言われましたが(笑)」

◆名古屋から上京、港区の清掃業者に就職「手に職をつけたい」

 離婚や家を引き払わなければいけないなどの厳しい現実や生活ぶりについてもYouTubeで明かしてきた。そして9月、身一つで名古屋から上京し、東京都港区の清掃業者に入社したという。

「野球を辞めてから、じつはいろんな会社から就職のお話をいただいていました。しかし結局はどれだけ条件がよかったとしても自分がやりたいとは思えなくて、すべて断ってしまったんです。やっぱり、“手に職をつけたい”というのが大きかった」

 主な仕事内容としては、“現状回復”と呼ばれるもので、マンションやアパートなどの賃貸借物件で住人が部屋を退去してから入居前の状態に戻すこと。そこには事故物件の特殊清掃や遺品整理なども含まれる。また、ハウスクリーニングや清掃に関する業務全般を請け負っているという。

 数ある仕事のなかで、一般的には“キツい”などのイメージもある清掃業を選んだ理由はなんだったのか。

「もともと掃除が好きだったんですが、年明けにYouTubeで『今後は清掃業をやります』って宣言したら、社長から連絡をいただいて。実際そのときは清掃業に関する知識も技術も何もなかったんですよ。やると言ってしまえば、やらなあかん状況になるので。あとは、どうにかなるだろうと……」

◆「本気で頑張ろうとしているのが見えた」

 そんな滝野さんのYouTubeを見て興味を持ったのが、現在の勤め先である株式会社ワザビトの代表取締役・半藤航さんだ。

「あまりプロ野球は詳しくなくて、ドラゴンズ時代のこともよく知らなかったんですが、YouTubeで清掃業のことを言っていたので、最初は純粋に仕事をお願いしようと思って連絡したんです。当時、彼はまだ愛知にいたのですが、わざわざ東京まで学びに来てくれて。これから本気で頑張ろうとしているのが見えたので力になりたかったんです」(半藤さん)

 その後、半年ほど愛知の仕事をふっていたというが、9月からは正社員として東京で働いているという。半藤さんも滝野さんの真面目な働きぶりに太鼓判。

「やっぱりスゴかったんですよね。野球でプロになるだけあって、“物事に取り組む姿勢”がぜんぜん違う。いわゆるホウレンソウ(報告・連絡・相談)とかもしっかりやるタイプで。人間なので、だれでもラクしたいと思うものですが、彼は仕事をお願いしても『面倒くさい』とか『キツい』とか言わず、すぐに『やる』と答えるので、さすがと思いました」(同上)

◆プロ野球選手を辞めてから「やっと腹を決められた」

 滝野さんが入社するまでの期間を改めて思い返す。

「今年は年明けから名古屋で野球塾の先生をしていましたが、それは夕方から夜の間だったので。日中の“本職”を見つけたいと思っていたんです。

 清掃業と一口に言ってもそれぞれで違うんですよね。掃除のやり方や、汚れによってどんな薬剤を使うのか。それをきちんと習得したくて。いくつかの業者さんを見てきたのですが、うちの社長はめちゃくちゃ細かいんですよ。でも、綺麗にする上ではそれが本当に大事で。東京に行って本腰を入れてやりたいと思ったんです。絶対に将来のためになるので、今はしっかりと仕事を覚えて。だから、キツくてもキツいなんて言ってられない」

 プロ野球選手を辞めてから約1年の月日が流れたが「やっと腹を決められたんですよ」と声を弾ませる。

「いただいた仕事はしっかりやってきたつもりなんですが、自分の“本職”って一体なんだろうって。心のどこかで“これからどうなるのかな……?”ってモヤモヤした気持ちがあったので」

◆“人のためになっている”実感がある

 現在は朝6時に起床して、作業が深夜までかかってしまうこともある。元プロスポーツ選手とはいえ、丸一日の仕事で足腰が筋肉痛に。それでも充実感をにじませる。

「毎日仕事があって、朝から晩まで元気に働けることがありがたいなって。あと、在宅のお客さんだったら直接お礼を言ってもらえたりするので、“人のためになっている”という実感が得られるんです。綺麗になったことに感動してもらえたときは、前よりも自分が成長しているようで本当にうれしい。まだ仕事のスピードは遅いですが、ちょっとずつですが早く上手にできるようになってきました」

 清掃の現場でお客さんから「元ドラゴンズの滝野選手ですか?」と気づかれることもあるというが「名古屋以外の東京でも知ってもらえているのは素直に嬉しい」と話す。SNSでは“本職”としての清掃業についても発信するようになった。

「最近はYouTubeの目的も少し変わってきていて。清掃業の仕事をするなかで、自分のような病気を抱えている人に“合っている”と思って。業務に慣れてきたら基本はひとりで動くので、他人の目を気にしなくてもいいし、しっかりやれば文句も言われない。せっかくYouTubeチャンネルを持っているので、仕事についても発信して広めていきたい」

◆セカンドキャリアの道標になりたい

 とはいえ、“お金を稼げる職業”の代表格であるプロ野球選手から普通のサラリーマンへ。収入面に関してはどうなのか……。滝野さんは「頑張り次第」と話す。

「いや、僕の場合は“プロ野球選手”といってもぜんぜん高給取りではなかったというか、あんまり稼げなかったんで。むしろ今は自分が大きくなれるチャンスなんじゃないかと思っていて。頑張りが評価されればお金に反映される仕組みなので、“過去を超えたい”と思うし、その可能性がじゅうぶんにある。やるからには“事業拡大”など、高い目標を掲げていこうと思います」

 プロ野球選手に対する未練は「一切ない」と言い、その表情は晴々としている。

「ようやく“極めたい”と思える仕事が見つかったんで。戦力外通告後、何がいちばんツラかったのかと言えば、自分が“何をすればいいのかわからない状態”だったことでした。いろんなサポートをしてくれるプロ野球選手会からは『セカンドキャリアを考えておきなさい』と常々言われていたのですが、現役でやっている選手としては考えられなくて。いざ選手生活を終えたあとに大変さが身に染みるというか。現実問題として、不本意な場所で働いている元プロ野球選手とかもいっぱいいる。

 いろんなスポーツのプロ選手が引退後は右も左もわからなくなってしまうので、僕の存在がセカンドキャリアを考えるきっかけとか、ひとつの道標になりたいと思っていますね。

 僕が“この技術があれば生きていける”と思ったように、社長の理念には“関わる人全員に技術と生きがいを”というのがあって。生きることに自信がない人も技術を身につけると、輝けるようになるんです。今の仕事にやりがいが見出せないなど、満足がいっていない人、派遣社員などで収入が厳しい人や、生活に不安を抱えたシングルマザー、人付き合いが苦手で引きこもってしまった人などの受け皿にもなっていきたいですね」

 “人生100年時代”とも言われるなかで、一生をかけて向き合える仕事に出合えるのかどうか。プロスポーツ選手に限らず、不況が長引くなかで自分の仕事がいつどうなるのかなんてわからない。

 戦力外通告から約1年後、滝野さんは“新たな挑戦”に目を輝かせていた。

<取材・文・撮影/藤井厚年>

【藤井厚年】

明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi

]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12193-2640067/

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