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「ネット社会へのカウンター」という意識はない…吉田修一が「リラックスできる小説」を書き続ける理由|ニフティニュース


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映画化もされた人気シリーズ「横道世之介」が、今年5月発売の『永遠と横道世之介』(上・下巻、毎日新聞出版)で完結した。本作でも主人公の世之介は、とにかくマイペースでお人好し。「この世で一番大切なのはリラックスしていることですよ」という名セリフまで残している。この「愛されキャラ」は、どこから生まれたのか。作者である吉田修一さんに聞いた――。■毎日、無意識に見てしまうネットニュース

――吉田さんは普段、ネットでニュースをご覧になりますか。

前もってお伝えしておきたいのですが、僕は同世代の中でもかなりIT系に弱いほうなので、相当とんちんかんなことを言うと思います。スマホはもちろん持っているので、Yahoo!ニュースに出てくる記事とかは毎日読みますよ。最初の画面から下に下がっていくと、いっぱい出てくるじゃないですか。その中で気になった記事はわりと見ます。

――それは小説を書く情報収集のためですか。

いや、クセですかね。あまり意識せず、なんとなく見ちゃっていますね。気になったニュースを見ると、関連記事がどんどん出てくるじゃないですか。それをどんどん見ていくという感じです。自分から情報を取りに行っているのではなくて、流されているというか、踊らされているというか……。

新聞で連載をしているので新聞も読むし、雑誌もたくさん送っていただけるので、気になった記事は読みます。同じように、スマホがあればスマホのニュースも見るし、という感じです。

■「時代遅れになっていることに気づいていないのかも」

――だれもがネットでニュースを読む時代になって、読者との接点に変化を感じることはありますか。

僕の場合はまだまだアナログというか、いまも新聞や雑誌で書いているので、読者との接点というテーマは、あまり考えたことがないですね。自分が時代遅れになっていることに気づいていないだけかもしれないし、もしかしたら保護されて、甘やかされているのかもしれませんが。

ありがたいことに作家としては順調に来ているので、自分が書きたいものを、書きたいときに、書きたいように書くというスタンスだけでやってきて、それが運よく時代にハマってきたんですね。ハマるということは、きっと僕と同じようなことを考えている人が少なくとも何万人かはいて、その人たちと一緒にずっと来ているのだろうし、若い人たちの中にもハマってくれる人がいるのかなという気がします。

■なぜ温かみにあふれた世界を創造したのか

――「横道世之介シリーズ」の主人公、世之介は他人のことを思いやるお人好しの人間です。そんな世之介をめぐる物語は、いつまでもこの世界に浸っていたいと思わせるような豊かさがあります。一方、いまのネット社会では「炎上」ばかりが注目を集めて、殺伐とした空気があります。吉田さんは、そんなネット社会に、嫌悪感や危機感を持つことはありますか。

うーん、お話を聞いていて、自分があまり危機感を覚えていないのはヤバイのかなという気がしてきました……。

――吉田さんはあえて、ギスギスしたネットの世界には存在し得ない、温かみにあふれた世界を創造して、ネット社会にカウンターを当てようとしたのだと想像していました。

いえいえ。たしかに世の中は進歩して変わってきていますし、ネットの世界はキャパが大きくなって全世界的になっているので、いろいろ問題もあるんでしょうけど、「どうか僕を置いていかないで下さい!」と思っているぐらいです。ネットと闘ってやろうなんて一切思っていないし、仮にネットがない時代でも世之介を書いていたと思います。

■「リラックス」を最優先する若者が増えている

――ネット社会に憤りも嫌悪も感じていないし、まして闘ってやろうという気持ちなど毛頭ないと。

いや、やっぱり闘っていることにしてもらおうかな。そっちのほうが、「怒れる作家」みたいでかっこいいですよね(笑)。

――ネット社会のエグさや刺激に馴染んだ人たちが、ほのぼのとした「世之介シリーズ」を読もうと思うきっかけは何でしょうか。

実を言うと、僕は昔に比べると世之介っぽい若者が増えてきているような気がするんですよ。必要としているものの優先順位の中で、「リラックス」とか「ストレスのない世界」というものを上位に置いている若者が増えているのではないかと。

僕らの世代にも格好をつけてそんなことを言う人はいるけれど、中身は結構ギラギラしていたりするわけです。でも、いまの若い人と実際に話してみると、本気でその辺を一番に置いている人がいます。だからといって、いまの若者が無気力になっているとは思っていないんですけどね。

■自分の若いころに比べたら若者は優しくなった

――その感覚はシリーズ1作目から変わりませんか。

いいえ。1作目を書いたのはもう十数年前になりますが(シリーズ第1弾『横道世之介』は2008年連載開始、2009年刊行)、当時は、こんなギラギラギスギスした世の中で、世之介なんて生きていけるのかなという感じでした。

僕はいま54歳なんですけれど、世之介はもしも同じクラスにいたら、「あいつ、ちょっとイライラするよな」と思ってしまう、変わり者のタイプだと思うんですよ。でも、十数年経ってみて、クラスの中に世之介みたいなタイプがわりと増えているんじゃないかという気がしますね。

――ネットの世界では、現実社会で感じる苦しさや憤りをぶちまける若者が多いように思います。吉田さんが世之介的な若者が増えていると感じるのは、リアルに会ってみてのことでしょうか。

そうですね、実際の社会の雰囲気としてはそうなんじゃないですか。いや、でも僕の性格なのかなぁ。ネットニュースも、嫌なニュースとか読みたくないニュースは飛ばしてしまいますからね。性格的に陽のほうというか、楽しいほうばかり見てしまうのかもしれません。

ただ、肌感覚でも、いまの若い人はすごく優しくなっている気がしますよ。彼らが裏で何をやっているかは知りませんし、優しさの反動がネットの世界に行っているのかもしれませんけれど、僕らの若いころに比べたらすごく優しくなっているし、礼儀正しくもなっていると思います。立ちションしている若者とか、最近は見たことないですからね。

■運転中に割り込みをするのはオジサンばかり

――いまの若者はネットで悪口を言われるのが怖いから優しいふりをしているんだとか、嫌われたくないからコミュニケーション能力ばかり高くなっているんだ、なんて批判をする人もいます。

なるほど、若者って何やっても悪く言われるんですね……。世代論は苦手なんですが、たとえば僕らの若いころって、行列にすっと割り込んだりする人なんて普通にいましたけれど、いまだったらあり得ないでしょう。そういう小ずるい感じのことを僕自身もやってきたわけですが、そういうこと、いまの若い人はやりませんよ。僕が見ている範囲のことかもしれないけれど、みんな優しいし良識的だと思います。

僕は車好きなんですが、車の運転を見てもこの20年でものすごく変わったと思います。昔なんて「ここはサーキットかよ」っていうぐらい凄まじい状況があったんだけど、いま、追い越しかけてきていきなり割り込んでくる車を見ると、たいてい僕と同世代が乗っています。圧倒的にオジサン。若い人が乗っている車の多くは、先を譲ってくれるし、運転自体も優しいし、マナーもいい。つまり、横道世之介の世界は車道にあり、ということです(笑)。

■フィクションとノンフィクションはまさに正反対

――「世之介シリーズ」は、今回の完結編で締めくくりですか。

実は、1作目を書いたときには続編を書く気はなかったんです。ところが、事情があって続編を書くことになったら、主人公の人生を完結させてあげたいなという気持ちになってきて、ちょうど毎日新聞の連載が決まっていたので、1作目も毎日だったから最後も毎日ならいいかなという形ですかね。

ひょろっとした細い木が、読者に育てられて、映画化もされて、太い太い木に育ったという感じがあって、自分のライフワークとして完結させたいなという気持ちもありました。とにかく僕はこのシリーズの登場人物たちが大好きで、1年間書いていて、本当に楽しかったですね。

――小説を書く楽しさとは何でしょうか。

フィクションとノンフィクションでは楽しさに違いがあると思うんですが、フィクションというのは嘘なわけですよ。毎日毎日、ずーっと嘘ばかり書いていると、あるとき、ポンと真実が出てくる瞬間があるんです。嘘の中に、一瞬、本当が出てくる。

ノンフィクションとかニュースの世界ってまったく逆で、たとえばテレビのドキュメンタリー番組というものは、基本的に真実だけをずっと映しているわけですよね。ところが、真実はこうだ、真実はこうだと映し続けている中に、「あっ、この人いま演技したな」っていう瞬間があるんです。嘘がチラッと見える瞬間がある。この「嘘の瞬間」を見つけたときが面白い。そういう意味で、フィクションとノンフィクションの面白さってまったく違う。正反対だと思うんです。

■嘘だらけの中に、真実が出てくる瞬間が面白い

言ってみれば、僕は「嘘が当然」の世界でずっと生きているので、ネットのコメント欄での嘘のつき合いを目にしても、自分もまさにこういう嘘のつき合いの世界で生きているんだなーと思うだけなんです。むしろ、嘘のつき合いの合間にチラッと真実が見える瞬間があると、それを面白いとすら思ってしまう。だからこそ、さっきの議論に戻れば、ネット社会に対して憤りや嫌悪を感じることが少ないんでしょうね。

ノンフィクションやドキュメンタリーは間違い探しの世界、フィクションは正解探しの世界ということかもしれません。

――「世之介シリーズ」を書いていて、ポンと出てきた真実はありますか。

本の帯にもなっている、「この世で一番大切なのはリラックスしていることですよ」という世之介の言葉ですかね。書いていて、僕自身、刺さりましたから。これは嘘の物語で、世之介なんて居やしないわけだし、全部嘘なんですけど、あれだけのページ数を書いていくと、「これ本当かもしれない、真理かもしれない」というものが出てくる。

それが出てくると、しみじみ書いてよかったと思いますし、これこそ小説というものの面白さなんだと思いますね。

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吉田 修一(よしだ・しゅういち)
小説家
1968年、長崎県生まれ。法政大学経営学部卒。1997年「最後の息子」で第84回文學界新人賞を受賞。同作が第117回芥川賞候補となる。2002年『パレード』で第15回山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で第127回芥川賞を立て続けに受賞。2007年『悪人』で大佛次郎賞と毎日出版文化賞を受賞した。他に『東京湾景』『長崎乱楽坂』『静かな爆弾』『元職員』『横道世之介』など著書多数。最新刊は『永遠と横道世之介』。
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(小説家 吉田 修一 構成=山田清機)

]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-2405965/

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