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「外国人を外来種に例えた」からではない…林原めぐみのブログが「リテラシー不足」と炎上した本当の理由|ニフティニュース


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声優・林原めぐみさんがブログにアップした内容が、外国人排斥を主張しているなどと批判されている。芸能人の政治的発言が炎上するのはなぜなのか。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「リテラシー不足や、芸能人の政権批判自体へのタブー視が指摘されるが、そうではない。真の問題は、“芸能人を下に見る態度”にある」という――。■「興味がない、わからない、知らない」

6月8日、声優で歌手の林原めぐみさんが公式ブログに「興味がない、わからない、知らない」と冠した記事を投稿した。タイトルの後の本文は「で いいんだろうか 本当に心配になってきました」と続く。現状では、「以下変更」とあるが、ネット上のキャッシュを見ると、韓国YouTuberを取り上げていた。

また、「日本ザリガニがあっという間に外来種に喰われちゃったみたいになってしまう」との記述も削除しているが、林原さんの問題意識は、このあたりにあったのだろう。

今も残しているブログの末尾付近には、次のように書いているからである。

日本の税金は『まずは』
税金を納めた人達へ(納めた在日外国人は勿論含む)
日本の[被災地]に
今日本を支えている学生に使ってほしいと
思うのは排外主義と言われるのかしら
日本の中が疲弊したら[おもてなし]もできなくなる

外国人を排除しているとの誹りを受ける覚悟で、こうした発言に踏み切っており、その意味では、今回の「炎上」も織り込み済みだったのかもしれない。

実際、ジャーナリストの津田大介氏は、「ユーザーのリテラシー不足だけを責めても何も問題は解決しない」、そして、「ネットを足がかりにゼノフォビア(外国人恐怖)が蔓延し、大衆に膾炙していくのは世界中の国々で共通して起きている現象」(いずれも9日)とX(旧Twitter)に投稿している。

津田氏によれば、ユーザー=林原さん=リテラシー不足であり、そのせいで排外主義が広まる、という。林原さんの懸念通り、批判されている。

林原さんの発言の中身についても、そして、その後の「炎上」騒動についても、私はよくわからない。林原さんは思ったことを自由に発信すればいいし、ブログを見る限りでは、排外主義と言えるかどうか、判断しがたいのではないか。

それよりも、今回の問題は、なぜ、芸能人の政治的発言が「炎上」だと報じられるのか、ではないか。芸能人の発言が、「いつも炎上している」わけではない。それよりも、いつも「炎上していると報じられる」のではないか。その理由は何か。

■今回の騒動は「炎上」なのか

もとより、「炎上」の定義は単純ではない。国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの山口真一准教授は、「ある人物や企業が発信した内容や行った行為について、ソーシャルメディアに批判的なコメントが殺到する現象」と定義している。ただ、何をもって「批判的」とするか、そして「殺到」とは、どの程度なのかは、定めにくい。

林原めぐみさんを例にとろう。Xで検索すると、津田大介氏のポストの通り「大変な事態になっている」のは間違いない。ブログが投稿されて翌日(9日)には、「林原さん」「林原めぐみさん」「排外主義」など、関連するキーワードがX上で話題になっているキーワードやハッシュタグを、リアルタイムで順位付けして表示する「Xのトレンド」に入っている。

けれども、山口氏が定義した「批判的なコメントが殺到している」とは、言いにくいように思う。リアルタイムでこの騒動を追い続けていたわけではないが、少なくとも、私が過去のブログへのコメントやXへの投稿をさかのぼって確認した印象でいうと、だ。

そもそも、今回のブログが「政治的発言」かどうかも、疑わしい。

たしかに、林原さん自身が「やはり政治的な発言は、難しい」と、当該の投稿を結んでいる。

とはいえ、特定の政党への支持を呼びかけたのでもなければ、何かの政策を非難したわけでもない。

ブログを修正した時点で林原さんが書いたように、「声を上げる事すら冷ややかに日本が日本に[無関心]な事がとにかく悲しいと伝えたかった」だけなのだろう。

■「政権批判」は「すごく炎上する」のか

日本での芸能人による「政治的な発言は、難しい」という見方は、これまでにも出されてきた。

たとえば、2018年6月8日のTBS系「上田晋也のサタデージャーナル」では、「“政治的発言”芸能人はタブー」というコーナーが放送されている。

当時は、沖縄の基地問題をめぐる漫才コンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんや、モデルのローラさんの発言が「政治的」とされていた。

これに対して、劇作家の鴻上尚史さんが「(芸能人の)政治的発言がまずいんじゃなくて、政権に対する批判に対して、すごく炎上するようになってるってのは、すごくヤバイと思います」と述べている。

しかし、芸能人による「政権に対する批判」は、「すごく炎上する」のだろうか。それなら、なぜ、朝から夜までテレビ番組では、お笑い芸人やタレントがコメンテーターを務めているのか。彼らの発言は、往々にして「政権に対する批判」であるのに、炎上していないではないか。

■芸能人コメンテーター=タテマエの世界

ニュース番組や情報番組には、いまや、どの番組にも必ずといっていいほど「コメンテーター」がいる。

かつては、専門的な知見に基づいて説明する記者や評論家を「コメンテーター」と呼んでいた。その後、ニュースの解説よりも個人の感想や意見を述べる著名人へと枠が広がり、スポーツ選手や芸能人が増えた。

最近では、大学の教授は「コメンテーター」よりも「専門家」=ゲストとして、ひとつのコーナーに呼ばれる程度になった。それぞれの見方を披露する弁護士やタレントが、「コメンテーター」として、ほとんどの番組に据えられている。

最近で言えば、「令和の米騒動」について、芸能人コメンテーターは、政権を批判していた。小泉進次郎農水相の前任・江藤拓氏の「米は買ったことがない」発言をはじめ、「政権に対する批判」を繰り返していた。

それなのに、炎上はしていない。あくまでも、コメンテーターという役割の範囲のなかで、いわば、お約束と台本におさまる予定調和の世界のなかでは、「芸能人の政治的発言」は炎上しないのである。

図式的に言えば、「芸能人コメンテーター=タテマエの世界」に対して、本人の自由な意志によって投稿する「SNS=ホンネの空間」なのだろう。

タテマエを並べて、お茶を濁してくれている限りは「炎上」(あるいは、「炎上した」と報じられることは)しないが、拙くてもホンネを吐露すれば、途端に槍玉に挙げられる。

この背景には、何があるのだろうか。

■アメリカでは芸能人の政治的発言は「当たり前」

先に挙げたテレビ番組「上田晋也のサタデージャーナル」の「“政治的発言”芸能人はタブー」というコーナーには、パックンことパトリック・ハーランさんも参加していた。ハーランさんは、歌手のテイラー・スウィフトさんがドナルド・トランプ大統領を批判しているとし、芸能人の政治的発言は「アメリカでは当たり前」だと述べていた。

米国で芸能人が自由に政治的発言をできるのは、なぜか。

その理由として、30年ほど前までは、テレビCMとの兼ね合いが考えられていた。

ハリウッドスターをはじめとして、アメリカの著名人は、特定の企業に与しない=CMに出ない立場を保っているから、政治的な発言もフリーなのだ、というわけである。

とりわけ、バブル期の日本では、ハリウッドスターが大勢テレビコマーシャルに出演していたのに、米国ではほとんど出ていなかった。しがらみがなければ、発言に気を遣う必要がない。説得力が高い見方だろう。

しかし、実情は違う。

アメリカ最大のスポーツイベント=NFLアメリカンフットボールのスーパーボールでは、Uber EatsのCMに、銃規制強化などの政治的発言も繰り返してきたマシュー・マコノヒーが出演するなど、多くのスターが広告に参加している。

ほかにも、これまでの歴史上、多くのCMに、たくさんのハリウッドスターが出ており、先に挙げた説は、どこまで真実なのか、疑わしい。

とすれば、芸能人の政治的発言が「アメリカでは当たり前」なのに対して、日本では「いつも炎上していると報じられる」のは、なぜなのか。

■タテマエの世界からの「脱出」が反発を呼ぶ

おりしも、東京では、6月22日に投開票される都議会議員選挙の啓発ポスターが、至る所に張り出されている。

イメージキャラクターは、「映画やCM等で若い世代に幅広い知名度をもつ俳優・清原果耶さん」である。

政治の世界での芸能人は、「知名度」さえあれば十分なのであり、それ以外の余計な要素は要らない。こう考えると、コメンテーターの発言が炎上せず、SNSの発言が「炎上と報じられる」理由も明らかになる。

コメンテーターとしての芸能人は、あくまでも「知名度」の高さゆえに番組に置かれているにすぎない。それ以上でも以下でもない。ただ、よく知られている人が画面にいる、それだけで役割を果たしているから、何を言おうが言うまいが、どうでもよい。

反対に、SNSでの発言は、「知名度」とは関係なく、あくまでもひとりの人間としての率直な思いを打ち明けている。まぎれもないホンネであり、自分の意思と覚悟を持って、世の中に意見を問うている。タテマエの世界から飛び出そうとする姿勢は、時に反発を呼ぶ。

■芸能人を「人間」として見ているか

なぜ反発を呼ぶのかと言えば、芸能人を下に見ているからではないか。

条件反射で、芸能人の政治的発言=浅薄、と決めつけているからではないか。

「知名度」だけの存在だと見下していたのに、生身の人間らしさをあらわにされて、驚くのではないか。客寄せパンダに過ぎなかったのに、まさか、人間だったとは、と驚いているのではないか。

けれども、いったい、発言の浅い/深い、は、誰が、どうやって決めるのだろう。

私自身、「Yahoo!ニュース エキスパート コメンテーター」なる、仰々しい立場で、毎月10回ほど、つまり、3日に1回の割合で、「コメント」しているが、しばしば「浅い」との批判をいただく。

甘んじて受けるほかないのだが、「コメント」とは、そもそも「浅い」ものではないのか。テレビのお約束ばかりの空間が生み出した儀式のようなものではないのか。テレビはテレビで、そのタテマエのなかで自給自足していれば良いのであって、SNSのホンネの空間とは混じり合うのは、むずかしい。

何より、ひとりの声優・歌手の発言をことさらに煽りたてて、さも「炎上」したかのように取り上げるメディアの責任が大きい。メディアの違いとともに、どのメディアであっても、芸能人をどれほど蔑視しているのか。林原さんの発言が「炎上」と報じられている現状は、そうしたメディアの現状を教えてくれるのではないか。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

]...以下引用元参照
引用元:https://news.nifty.com//article/magazine/12179-4202461/

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