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【報ステ】拡大する炎…8ミリビデオで記録した“あの日”の神戸 阪神・淡路大震災30年【報道ステーション】(2025年1月16日) -芸能ニュース/炎上まとめ

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午前5時46分の地震、その直後の街の姿を、当時の神戸市職員が8ミリビデオで記録していました。映像が伝える“あの日”をたどります。

■拡大する炎 市職員が撮った神戸

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「煙が上がっております。東側まったく煙で見えません。かなり空から灰が降ってきております」

1995年1月17日、神戸市広報課の職員だった松崎さんは、須磨区の丘で撮影を始めました。

元神戸市広報課 松崎太亮さん
「もちろん抵抗感はありますし『何を撮っているんだ』と怒られたこともあります。ただ、これは将来の災害復旧とか復興のため、どれだけ被害を受けたかという記録であるので」

「もしも倒れた人がいたら、撮影をやめて救助しよう」と、心に決めて、自転車をこぎました。

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「みんな焼け出された人が行き場を失っている」
「電話を待っています。電話は通じるみたい」
「道路が陥没しています。ドライバーたちによる自主的な交通指導が行われています」
「若松町の交差点です、この辺は工場が密集しておりますので、火事の炎の色が違います。化学薬品が燃えているようです」
「火の手が迫ってきております。重機を持ってる人なんかは、自分で復旧作業に入っている」

いつもの街なのに、いつもの声がしません。

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「時刻は午前10時を過ぎました。大正筋商店街の入り口に来ています。かなり火の手が上がっています」
「アーケード非常に危険な状態です。消火活動が進んでない。断水の影響がかなりあるかと」
「須磨が長田がむちゃくちゃになっとる。なんちゅうことやほんま。風呂屋の煙突」

松崎さんは、午前8時過ぎから午後11時過ぎまで撮影しました。震災当日のテレビに映るのは、空からの映像ばかりでしたが、煙の下にはあの日を生きる人々の姿がありました。

■断水・渋滞・停電“あの日”の教訓

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「新湊川からの給水で、消火活動にあたっています。まだまだ火の手が上がっているようで、非常に危険な状態です」
「小学校には避難している方がたくさんおられます。時折、小雪の混じる寒い時です」

避難所にも炎が迫っていました。

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「炊き出しが始まっています」

大都市が初めて経験した直下型地震。想像もしなかった規模の被害を前に、消防も救急もあまりにも足りません。全容はまだ誰にも分かりませんでした。

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「戦争を知らない自分が、こんな形で、この神戸のがれきの街を歩くとは考えてもみませんでした。これは映像だけのものだと思っていました。災害は突然やってきました」

午後になると、同僚と車で回ります。

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「午後2時16分です」

同僚(1995年)
「もうちょっとで家燃えてまうわ。もうぐちゃぐちゃ」

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「救急車が来ましたが、なかなか奥へ行けない」

大阪から消防車がたどり着いたのは地震から8時間が過ぎた頃でした。

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「交通渋滞が激しいので(緊急車両が)反対車線を通っています」

警察(1995年)
「この先の建物は倒壊寸前で大変危険な状態にあるため、通行止めとなっております。迂回をするようにしてください」

元神戸市広報課 松崎太亮さん(1995年)
「午前中、私が見ました時よりも、火の手および煙が上がっているみたいです」

朝、歩いた街は、夕方、炎に包まれました。

■未来を守る 震災の記録と記憶

“あの日”を記録した松崎さんの30年間は、震災に負けない街づくりに注がれました。

元神戸市広報課 松崎太亮さん
「ここは防災公園。震災の後の知恵ですね。水が足りなかったから、この下に水のタンクがあるのと、炊き出しベンチになっている。僕だけじゃなくて阪神地域で被災した人、関わった人たちが他の地域の被災地に思いを寄せたり、支援に行くことが、この30年で文化として育っている」

一人ひとりの記録と記憶は、30年経った今も地域の子どもたちにつながっています。

長田区の小学3年生
(Q.将来の夢は)
「消防士。皆の役に立つから」

芦屋市の小学5年生
「お母さんとお父さんが経験しているので、話を聞くとやっぱり怖いなって。日本いたら絶対起こることだし、東日本大震災とかを勉強して、もっと詳しくなれたらいいな」

明石市の小学5年生
「大きな地震が起きたら、自分の大切な人とか物を失っちゃうことがあるから、できるだけ被害を小さくできるように取り組みたいと思いました」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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